県営球場最後の試合となった全国高校野球岐阜大会決勝戦。有終の美を飾った県岐阜商高ナインがダイヤモンドを1周した=岐阜市、1987年7月30日撮影
「県営球場サヨナラ1万人コンサート」ではバックスクリーンに幅25メートルの特設ステージが設けられ、スターが競演した=1987年8月2日撮影
長良川球場のこけら落としは39年ぶりのプロ野球公式戦。満員のファンが声援を送った=1991年4月14日撮影
長良川球場のスコアボードは電光式に。ホームランで噴水が上がった=1991年4月撮影

 岐阜県営球場。現在の長良川球場(岐阜市長良福光)がある場所にあった。1991年に長良川球場がオープンするまで、高校野球やプロ野球など数々の熱戦が繰り広げられてきた。高校球児たちはここでの戦いを勝ち抜いて甲子園を目指した。その伝統は長良川球場に引き継がれている。

 県営球場は64年、翌年の岐阜国体に合わせて改築された。スコアボードは回転パネル式で、試合中は裏に係員が待機していた。

 ぎふ中部未来博覧会の会場整備に伴い、老朽化した県営球場は取り壊しが決まった。最後の高校野球は、87年7月30日。岐阜大会決勝戦で県岐阜商高が岐阜工高を延長十回の熱闘の末に下した。

 催事の最後を飾ったのは「サヨナラ1万人コンサート」。同年8月2日、シブがき隊や石野陽子さん、松本典子さん、岩崎良美さんらスターが県営球場に集結。「100%SO…かもね」などのヒット曲を響かせた。当時の本紙記事には「午後四時、いよいよヤングのお目当て、アイドルコンサートが始まり、会場は最初から熱気がいっぱい」「メガホンやそろいの法被を着た“親衛隊”の盛り上がりは最高潮」とある。「光戦隊マスクマン」などのショーもあり、県民らが盛大に別れを惜しんだ。

 未来博閉幕後の89年に着工した長良川球場。同年12月に大リーガーのジム・アボット投手、翌年3月にドラゴンズ星野仙一監督が相次いで工事現場を視察し「いい球場、投げてみたい」と口をそろえた。3万人を収容できる県内最大の球場は91年に完成。こけら落としは4月14日のドラゴンズ対ホエールズ(現DeNA)、延長十五回、5対5という熱戦で幕を開けた。

 バックスクリーンは電光式スコアボードを設置、プロ野球の試合でホームランが出るとオーロラ噴水が上がった。2018年にはスコアボードが全面フルカラーLED化された。

 昭和初期に活躍した松井栄造投手の銅像「栄光めざして」は、当初は球場外にあったが、現在は2階正面入り口で出迎える。銅像移設後の跡地にはバットの原料となるアオダモの木が植えられ、野球振興を訴えている。

 自身も野球少年だったという県スポーツ協会施設課の水口俊介さん(45)は、「高校野球もコロナ下は原則無観客だったが、今夏は客も吹奏楽も入れられるようになってほしい」と話す。また例年、夏の長良川の花火大会当日には内野スタンドを開放。20年以降中止されていたが来夏には開催される見通しになり「スタンド開放も、皆さん楽しみにしていると思うので」と笑顔で話す。