晴れやかな表情で記者会見に臨む永井秀昭=大垣フォーラムホテル

 北京冬季五輪のノルディックスキー複合男子団体で銅メダルを獲得した永井秀昭(38)=岐阜日野自動車=が1日、大垣フォーラムホテルで記者会見を行い、来年2月に出身地の岩手県で開かれる冬季国体を最後に現役を引退する意向を表明した。「岐阜と岩手、二つの県に育ててもらって今の自分があり、メダル獲得につながった。(今の心境は)すっきりしている」と晴れやかな表情で語った。

 国体の開催地の岩手県八幡平市出身。盛岡南高から早大へ進み、2008年に岐阜日野自動車に入社した。13年にイタリアで開かれた世界選手権個人ラージヒルで5位に入り頭角を現すと、ソチ、平昌、北京の3大会連続で五輪に出場した。

 五輪初出場は30歳で、38歳で待望のメダルをつかんだ。これまでの競技人生の中で最も印象に残っている大会はやはり北京五輪で、「一生色あせることのない最高の競技人生の1ページになった」と改めて喜びを語り、「メダルは遠い存在だと実感しながらやっていたが、最後の五輪と決めて臨んだ北京で最高の終わり方ができた。本当に幸せ者」と顔をほころばせた。

 冬季国体への出場を目指して自らの練習をしながら、後進の育成にも努める。「見に来てくれた人に全力プレーを届けたい」と意気込んだ。

 古田肇知事は「不屈の精神と競技に対する真摯(しんし)な姿勢で、県民にこの上ない勇気と感動を与えていただいた」とコメントした。

◆全力で取り組めた環境/一問一答

 永井の一問一答は次の通り。

 -現役引退を決断するまでに迷いはあったか。

 「迷いはない。全力で取り組んできたので、決断したことに後ろ髪を引かれることはない」

 -最終的な決断はいつ頃。

 「6月中旬ぐらいにははっきりと方向性を決めた」

 -これまでの競技人生で悔やんでいることは。

 「つらい時期はたくさんあったが、それも含めて自分の成長だったので後悔はない。北京五輪が終わり、シーズンも終わってやり切ったと言える」

 -38歳まで競技を続けてこられたこつは。

 「根底には競技が好きというのがあったと思う。つらい時期もあったが、それを楽しみに変えられた」

 -岐阜日野自動車に入社してから14年。こうなっている自分を当初、想像できたか。

 「正直想像できなかった。日本代表で活動していることも、その時の実力からいったらイメージできなかった。スキーに全力で取り組める環境をいただいたので、絶対に生かさないといけないと心に誓っていた。恩返しできてホッとしていると同時に、うれしく思う」

 -永井選手を目指して頑張っている人たちにエールを。

 「38歳の私ができたので、今の現役の選手にやれないことはない。自分を信じて、周りを信じて全力で突き進んでほしい」