◆40年前、異例の5代前まで確認
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」良質な霜降りと柔らかな甘みで多くのファンを持つ飛騨牛。高い肉質を生み出すため大役を担ったのは、黒毛和種の本場・兵庫県但馬地方でいくつもの畜産農家を回って名種牛・安福を買い付けた岐阜県の「優良系統牛調査団」だった。当時先駆的だった緻密な調査を重ね、和牛の命ともいわれる血統を見極めたことが、ブランド牛を生み出す原動力となった。飛騨牛誕生に情熱を注いだ担当者たちの軌跡を追った。
全国で肉用牛の生産が盛んとなってきたのは1955年ごろとされる。農作業の機械化が進んだことで、農耕に使うことが減り、肉用専門へ転換が進んだ。県でも、県産の雌牛に全国から集めた種雄牛を交配させるなど改良が重ねられ、いろんな銘柄牛があった。さらに78年、本格的な肉牛振興のために県内の和牛を系統的に固定する必要があるとして、事業がスタート。飛騨地域と気候も近く、和牛の原種ともいえる但馬牛から種雄牛を導入することが決まった。
兵庫県では当時、繁殖農家から種雄牛を集め、試験場で一括して育てる方式を取っていたため、買い付けに行っても得られる情報は少なく、優良な種牛が手に入るかは分からない。その前に母牛などの血統を調べておくことが重要だと判断。調査団が派遣された。
81年4月、兵庫県温泉町(現新温泉町)を訪れた県種畜場(現県畜産研究所)の職員3人は、現地の畜産農業協同組合から入手した2カ月後に出品される種雄牛の名簿を見て、その親牛を飼う農家に片端から電話をかけ約束を取り付けた。2日間で30軒以上を回る中で出合ったのが、安福の母牛である「ちずる」だ。調査団の一人で、当時の改良科長中丸輝彦さん(81)=高山市三福寺町=は「ちずるはバランスが取れた体格など但馬牛らしい資質と、但馬牛らしからぬ立派な体積(肉の量)を持ち合わせていた」と振り返る。さらに繁殖性も評判が高かった。
調査団は父牛のデータも集め、兵庫県で全盛を誇っていた安美土井の息子、安谷土井に照準を定めた。ちずるの父牛もまた安美土井だったため、近親交配の影響を懸念し父母とも5代前までさかのぼって遺伝に問題がないか調査した。県畜産協会の「名牛安福号物語」によれば、当時は系統を調べても祖父母の代まで。他県の多くは入札時に両親の血統を確認する程度だったという。岐阜県の調査は異例なものだった。
翌5月、以前から親交のあった現地関係者からちずると安谷土井の子がいるとの情報を手に入れ、出品前の子牛が集められ農家が専門家からアドバイスを受ける育成指導会に、関係者に紛れて参加した。調査団は自分たちの目で初めて、後に「飛騨牛の祖」となる安福を確認し、両親の特徴を受け継いで順調に成長した姿に入札の意思を固めた。
6月16日に迎えた展示即売会では、他県も入札に参加。岐阜県は入札の順番を決めるための事前希望調査でダミーの牛を記入し、入札直前まで他の牛を見て回る「演技」を続けた。中丸さんは「安福に狙いを定めていることを他県に気付かれないよう必死だった」と思い返す。調査団の努力のかいあって、安福を1千万円で落札。長い緊張の一日が終わった。その後、他県の和牛開発でも同様の調査法が取られたという。
岐阜県に持ち帰られた安福は、脂肪壊死(えし)症などを乗り越えて7万5千頭を超える良質な子牛を残し、種雄牛の使命を全うした。現在県内で飼われている飛騨牛の9割超が、祖先に安福を持つ。中丸さんは、現在の飛騨牛の人気を「もちろん安福の血統は素晴らしかった。しかしその上で、一体となって飛騨牛ブランドを育ててきた地域の力は大きい」と話した。















