石ノ森章太郎原作の「仮面ライダー」シリーズ、「人造人間キカイダー」のほか、ゲームキャラクター「スーパーマリオ」「ロックマン」、歴史漫画などを、幅広く描いてきた岐阜県羽島郡岐南町出身の漫画家がいる。山田ゴロ先生だ。作品の大ファンで特撮・アニメ研究家の岩佐陽一さんが、ゴロ先生の半生をつづる。

「仮面ライダー①」(トクマコミックス)

 今の子どもたちのあこがれの人物やなりたい職業がユーチューバーと聞くと、隔世の感を抱く。昭和42年生まれの筆者世代があこがれ、なりたかった職業は「漫画家」だった。われわれにとっての“偉人”とは、手塚治虫や石ノ森章太郎、藤子不二雄(F・A)らベテラン漫画家に、彼らの弟子筋の若手たちだった。

岐南町出身の漫画家・山田ゴロ先生

 その若手たちの中でも、自分にとってひときわ輝いて見えた漫画家が山田ゴロ先生である。私が子どもの頃は、漫画とテレビが全盛期を迎えつつあった時代。雑誌連載漫画が続々とテレビドラマ・アニメ化される一方、テレビ番組を漫画化、つまり逆輸入した作品、今でいう“コミカライズ”というジャンルが誕生した時代でもあった。

「仮面ライダー②」(トクマコミックス)

 そのコミカライズを多作していた作家の一人がゴロ先生だった。当時は「TVと漫画は別物」という考え方が主流で、コミカライズ担当作家たちは、キャラクターと設定だけを借りて内容は自分で考え、独自の世界観を創り上げていた。その中にあってゴロ先生の作品は常に他と一線を画していた。側(がわ)はコミカライズだが、中身はしっかり“ゴロ・ワールド”になっていた。その世界観はいまだに自分の胸に突き刺さったまま。「この方は他の漫画家とは違う…」そう思っていつしか半世紀が過ぎた。

「仮面ライダー③」(トクマコミックス)

 私が“岐阜県のお宝”と考える山田ゴロ先生は1952年12月23日、岐阜県羽島郡八剣(やつるぎ)村、現在の岐南町に生まれた。幼少期のお話は先生の短編集「やつるぎ村-忘れたくない 忘れられない物語」(ボイジャー刊)に詳しいが、毎日漫画を読みあさり、いつか漫画家になる日を夢見ていたという。そして68年4月20日、岐阜新聞(当時は岐阜日日新聞)紙面に登場した。記事の中で岐阜南高校(現岐阜聖徳学園高校)1年の山田君は「プロの漫画家になりたい」と夢を語っていた。以来50年以上経(た)った今、夢をかなえ、漫画家・クリエイターとしてこの岐阜新聞に帰ってきた。まさに“出世魚”を体現したかたちだ。今の感慨をご本人に聞いた。

 「自分でも驚いています。当時はこうなるとは夢にも思っていませんでした(笑)」