名古屋より格下、という意識
―そんな風に全国から注目された〝岐阜〟ですが、松尾さんは1994年に「岐阜は名古屋の植民地⁉」を出版されました。続編も出ました。どんな経緯があったのでしょうか。
「飲み仲間とそういう話になったんです。岐阜県の圏域ごとの文化の違いから始まって、名古屋の植民地やなと。交通網は名古屋を中心に整備され、通勤も名古屋。岐阜市は、いわゆる衛星都市ですよ。名古屋のベッドタウン。さすがに、千葉県のように新東京国際空港(現・成田国際空港)とか東京ディズニーランドとか、名前までは許さないけれど。ただ〝名古屋の植民地〟という意識はあった。心の中では。名古屋より格下だと。そういう言い合いは関東や関西でもあるでしょ」
―なかなか過激なタイトルでしたが、どんな反応がありましたか。
「1冊目は、増刷増刷で4万部ぐらい出ました。まあ、植民地というのは当たっとるね、という声の一方で、侮辱だ、おまえは岐阜県を愛しとらんのか、という声も。某役所で。あれは怖かったね(笑) あたしも、これでおしまいだと思いましたね」
戦国時代は全国最先端のまち
―その本にも書いてありましたが、江戸時代からそういう傾向があったようですね。
「そう。名古屋城を築いてから。(徳川)家康さんが。関ケ原合戦の後、第2の関ケ原合戦を想定して築いたというね。でも、それ以前は違った。だって信長も故郷の尾張を離れ、岐阜を拠点に天下を目指しとるがね。本拠地を岐阜に変えちゃうんだよ。あっちへ行くぞと。信長が初めてじゃないかな、自ら本拠地を変えたのは。滅ぼされたり、追い出されたりして移った武将はいるけれど」
「まあ、地理的に便利だったからですよね。岐阜が。都(京都)に近い。それから、日本海も押さえたい。そして岐阜と呼び、岐阜で城下町の整備や楽市楽座という後の大名たちがまねをする政策をやった。全国から今でいう視察に来る人もいて、外国人宣教師にも注目された。あの時代は、全国的に知られた最先端のまちでした。尾張にいた頃から、美濃を取ったらあれをやろう、これをやろうと思い描いていたんじゃないかな。岐阜で一気にやっているもん。思いつきではできないと思うよ」
故郷とは違う土地で一旗揚げた
―岐阜市は、信長が天下を目指したまちですが、岐阜県には天下分け目の関ケ原(不破郡関ケ原町)もあります。木村さんと伊藤さんのトークショーでも「岐阜から天下布武を掲げて前にしか進まなかった信長」(木村さん)や「岐阜を制すものは天下を制す」(伊藤さん)といった発言がありました。〝天下〟をキーワードにできるのは岐阜県だけだと思います。
「〝天下〟で盛り上げていくと面白い。主役級にね。だけど、岐阜県は広く、いろんな地域があるから。一つに絞れず、まあまあまあになっちゃって…というのがあるのかも」
―地域という意味では、信長は岐阜出身ではないのになぜ担ぐ?という指摘も。でも、豊臣秀吉も大坂(大阪)、家康も江戸(東京)という出身地以外を拠点にしました。
「おっしゃる通り。みんな故郷とは違う土地で一旗揚げた。違う土地の方が自分の理想を実現しやすいのかもしれません。信長は、尾張だと旧勢力が多すぎたという話ですよね。親の時代の家臣がいて、頭が固い。だから、途中から家臣にした秀吉や明智(光秀)さんあたりを重宝したんでしょうね。失敗しても、新参だからと古参に対して説明がつくし」








