◆主体的・対話的で深い学びって何?
 小学校では、本年度から「主体的・対話的で深い学び」の授業づくりが本格実施された。どのような授業実践が求められているのか。

 戦前からの生活綴方(つづりかた)教師東井(とうい)義雄(1912~91年)の言葉を借りれば「算数も、社会も、理科も、いつでも身の周りの物事を、自分の目、自分の耳、自分の手足、自分の体、自分の生活自体で、眺め、考え、調べ、処理していくことからスタートし、また、そこへ戻っていくような学習を具体化」する授業のことだ。アクティブラーニングとカタカナで表現されるような新しい授業法ではない。わが国では、90年以上も前から多くの優れた教師によって、実践されてきた授業である。

 具体例で考えてみよう。算数の体積・容積を学んでいる子どもが、「身の回りの物事を、自分の目、自分の耳、自分の手足...で、眺め、考え、調べる」ことを実現しようと、1000ミリリットル入りの牛乳パックの容積を実測した。

 牛乳パックの容積は、底面積×高さで計算できる、と。結果は、1000立法センチにならない。その子が「これって、おかしい。私たちは牛乳会社にだまされているんじゃない」とクラスの皆に向かって発言する。「エッ、本当?」、私も測ってみようと他の子も測りだす。「本当だ!私が測って計算しても、960・4立方センチしかない」と教室は騒然となる。その時もう1人の子が「じゃ、1000ミリリットルの水を入れて確かめてみたら」と提案。実際に水を入れると1000ミリリットルの水が入って、まだ上に少し余裕まであることが分かる。

 「どうして。不思議だねえ」「でもよく観察してみると、パックの真ん中が少しふくらんでいる」「本当だ、これを見つけた会社の人って偉いね」と、学級での対話は盛り上がっていく。このような授業が、東井が実践した「ひとり調べ-みんなでの分けあい・磨きあい-ひとり学習」の授業から学び直すことのできる実践だ。

 もう一つの例。これは私が実際に参観した理科の植物の植え方の授業の一コマ。

 花には雄しべと雌しべがあり、受粉して種子ができる。これは昨日までに勉強した。今日は球根で植える植物で、チューリップの花と球根を描いた絵を黒板に貼る。その絵を見ていた1人の子が「先生!チューリップにも花は咲くよね。だったら種ができるのでは?」とつぶやく。その教師は、少しむっつりして(授業の邪魔をしないで)とそのつぶやきを拒否。東井に学ぶなら、「エッ、先生も気づかなかった。本当かどうか調べてみよう」とそのつぶやきを拾い上げて、「主体的・対話的で深い学び」の授業が展開できるだろう。

 とよだ・ひさき 1944年三重県生まれ。広島大大学院修士課程修了。教育学博士。名古屋大大学院教授、中部大現代教育学部長などを経て朝日大教職課程センター教授。日本教育方法学会理事。「はらっぱ教室」など執筆多数。