優勝報告に訪れ、(左から)鍛治舎巧監督とともに後輩たちの練習を見守る松井大輔と佐々木泰=県岐阜商高グラウンド

 大けがとコロナ禍―。岐阜県内随一の高校野球の名門・県岐阜商高で中心選手ながら、最終学年で挑戦する舞台に立つことさえできなかった2人が、同じ青学大に進み、全日本大学選手権で日本一の夢をかなえた。4年のリリーフエース松井大輔と3年のスラッガー佐々木泰。日本一の原点となった恩師・鍛治舎巧監督が指導する母校県岐阜商で、苦悩の日々を振り返り、次なる挑戦への思いを語った。

後輩たちを激励する佐々木泰(左)と松井大輔、中央は鍛治舎巧監督=県岐阜商高

◇前十字靱帯断裂で絶たれた松井の甲子園への夢

 2019年春。一冬を超えて課題の制球力が安定し、球速も147キロまで伸びた松井。選抜優勝前の東邦に5回無失点、招待試合の大阪桐蔭に7回2失点をはじめ練習試合で強豪校を次々に抑え込む成長。本人も鍛治舎監督も、周囲も夏の大ブレークの予感に満ちあふれていた。ところが…。

球速、制球ともに飛躍的な成長を遂げた高校3年春の松井大輔=長良川球場

 春季県大会初戦の2回戦、岐阜聖徳戦で一塁走者として、捕逸による二進を試みた時だった。送球が左足に当たった瞬間、足をひねり、経験したことのない激痛に襲われた。前十字靱帯(じんたい)断裂。全治6カ月だった。

 「悔しくてつらかった。でも、今思えば、あのけががあったからこそ、高校で燃え尽きることなく、大学4年間頑張れた」と松井。言葉通り、懸命のリハビリを続け、1年時の秋季リーグで2部だった青学大の1部昇格に貢献した。

 2年の冬に左足のボルトをはずした後、調子が上がらず、3年時は振るわない2度目の試練が襲う。だが、最終学年の今春、再復活を遂げた。絶対的守護神として17年ぶりのリーグ制覇に導くと、全日本でも2試合で各3回無失点、18年ぶりの日本一にいざなった。

「あのけががあったからこそ大学4年間頑張れた」と語る松井大輔=県岐阜商高

 「ラストイヤーというメンタルの充実が大きい。先発の2人から託されている信頼感も大きい」。逆境になるほど成長してきた松井の次なる挑戦はプロ入り。「最も自信があるのはストレート。150キロは超えたい。でもそれより、制球や投球術をもっともっと磨く」。〝不死鳥〟はさらに大きくはばたくはずだ。

◇コロナもスランプの壁も乗り越えた伝統校随一のスラッガー佐々木

 春夏各30度、計60度の甲子園出場は全国2位。同じく4位の勝利数87は公立校1位の県岐阜商。数多い歴代スラッガーの中でも、一振りで流れを一変させる力を持つ佐々木は間違いなくトップクラスだ。その佐々木が主将を務めた2020年は鍛治舎監督による新生県岐阜商の一大チャンスだったが、阻んだのはライバル校ではなく、新型コロナウイルスだった。準備万端の選抜は直前中止。夏の全国選手権もなくなった。

高校3年の交流試合・明豊戦で左中間に本塁打を放つ佐々木泰=甲子園球場

 「本当につらかった。でも大学という次のステージに向け、時間はかかったが徐々に気持ちを切り替えた」。1試合だけ甲子園の土を踏めた交流試合の痛烈な本塁打は非凡さとともに、くじけず続けた努力を十二分に証明した。入学直後の春季リーグでもデビューからの2戦連続を含む6試合で4本塁打。大学の先輩井口資仁さん(前ロッテ監督)のリーグ記録24本超えは時間の問題と言われた。

 「どれだけでもホームランが打てる気がした」と語る佐々木だが、それが力みにつながり、2年時は大スランプ。脱出のきっかけは今年1月、原点である母校での練習参加だった。

 「自分の持ち味は強く振ることなのに気持ちが先走り、体が開いていた。まだまだですけど」。今リーグは2本塁打、打率8位。全日本準決勝でも先制ソロを放った。「これまでなら引っ張りにいったり、フライになっていた球をコースにさからわず本塁打にできた」。日本一という結果だけでなく、この1本は、さらなる成長曲線への分岐点となりそうだ。

「母校は持ち味の強く振る打撃の原点」と語る佐々木泰=県岐阜商

 17日からは、大学侍ジャパンの候補合宿。「昨年も候補だったが打撃不振。モチベーションは全く異なる」と代表入りに意気込む。佐々木も最終目標はプロだ。素質はもちろん強じんなメンタルと非凡な努力で大きな壁を乗り越え、日本一を果たした先輩、後輩。さらなる夢に向かって、力強く、着実に突き進む。