50年にわたり審判を務めたとして、岐阜県羽島市正木町の渡辺俊男さん(86)が、県高野連から永年功労賞の感謝状を受けた。青春をかける後輩の高校球児たちを支えたいと裏方としてジャッジを担い、関わった試合は3千試合を優に超えるという。
友人らの影響で幼い頃から野球をしてきた渡辺さんは、岐阜工業高校(笠松町)に進学。1年生の時には学校が夏の甲子園にも出場し、観客席から声をからすかのように声援を送ったという。3年生では主に内野手でプレー。打撃は打線の下位に入り、つなぐことに徹した。準決勝で岐阜高校に敗れ、涙をのんだ。
本格的に審判を始めたのは36歳の頃。数年前からかじってはいたが、知人に勧められて登録した。出身校の審判はできないというルールのため、県岐阜商業高校の試合のジャッジをよく担当した。印象に残る選手としてドラゴンズ打撃コーチの和田一浩さんを挙げ「打球のスピードはすごかった。当たりかけて驚いた」と振り返る。
「高校生たちが気持ちよくプレーできるよう心がけてきた」と審判としてのモットーを語る。体力的な問題から近年は審判の控えを務め、今春で引退した。関わった試合は3千試合超、練習試合なども含めると5千試合を超えるという。「一人の観客として楽しみたい」。間もなく始まる夏の県大会を50年ぶりに観客席から観戦するつもりだ。