スタンド前もびっしり、年の瀬の笠松競馬場は大勢のファンでにぎわった(2015年)

 競馬場の投票所内には、馬券を販売する多くの女性従業員らも閉じ込められる形になった。37年前の年末、笠松競馬「東海ゴールドカップ」で、騎手が1周勘違いしたことで起きた八百長騒ぎ。年の瀬の世相を反映し、「一獲千金」を夢見たファンらの群集心理が騒動を大きくした。最終10レースが終わっても、場内は異様な空気に包まれ、熱くなったファンと主催者サイドの攻防は、深夜まで約8時間続く場外戦となった。

 一方、こちらは競馬初心者で、本命馬の取り消しも分からずに買った馬券が大当たりし、幸運な払戻金を手にすることができた。投票所付近ではファンが「急にオッズが下がったのはおかしい」などと騒ぎ始めていたが、確定したレースが覆ることはないだろうと、しばらくして競馬場を出た。

 堤防道路の帰り道も渋滞でなかなか進まず、喫茶店で一服。コーヒーを飲んでいると、テレビのニュースで「笠松競馬場のファンが騒いでいる」と一報が流れているではないか。慌てて職場の先輩に連絡。競馬好きの報道部記者が現場に走り、取材に当たった。「年の瀬の笠松競馬場大荒れ、『八百長だ』観客騒ぐ」とか「ファン大荒れ、 お粗末 本命騎手が1周勘違い」と大きく取り上げた新聞記事などをまとめた。

東海ゴールドカップで騎手が1周勘違いしたため、ファンが騒ぎだし、機動隊も出動して警戒に当たった。大荒れとなった笠松競馬場での騒ぎを伝える新聞記事(1981年12月31日付・岐阜日日新聞)


 メインレースの結果に不満のファン200人以上が最終10レース終了後、「八百長だ、金を返せ」などと怒り、レースの無効を訴えて競馬場の管理事務所を取り囲んだ。この騒ぎで、岐阜県警機動隊、羽島署員ら150人以上が出動し、警戒に当たったが、興奮した一部のファンは管理事務所の窓ガラスを割ったり、ごみを燃やすなどした。深夜になって場外へ強制排除したところ、また騒ぎだしたため、ファン1人を逮捕した。

 このレース、人気馬のダイサンフジタカは2周目の直線で中団から先頭を奪ったが、井手上慎一騎手が距離を1周勘違い。ゴールしたと思い込んで、手綱を緩めてスピードを落とし、流すような動きを見せた。止まる前にレース途中であることに気付いて、慌てて馬群を追い掛けたが5着に終わってしまった。

 主催者側は、井手上騎手の笠松競馬場での出場停止(期限なし)、名古屋競馬場での10日間の出場停止処分を発表したが、納得しないファンは帰ろうとせず、管理事務所前に集まってきた。このため、午後5時頃から、ファン代表5人と管理者側が折衝を始めた。

 ■「審議対象にならず、レースは成立」
 地方競馬全国協会の公正委員は「レースは2500メートル戦だったが、その他のレースは1400~1800メートルだった。スピードを落としたのは、井手上騎手のミスによるもので、距離を勘違いして1周間違えた。地方競馬実施規則によると、レース後の審議対象は『落馬、走路妨害、着順』の三つで、今回のようなケースは全国でも初めてだが、審議対象にはならない。レースは成立する」という結論をファン代表に説明した。

レース結果に納得がいかず、事務所前に集まった競馬ファン。新聞紙や外れ馬券などが燃やされ、騒然となった

 しかし、話し合いは決裂。残っていたファンは、この結論に納得できずに不満を強めた。管理事務所の窓ガラス数枚を割ったり、石を投げ、あちこちの通路で新聞紙や外れ馬券を燃やすなど大荒れ。この騒ぎの中で、投げられた石が頭に当たり、名古屋市の男性ファン1人が1週間程度のけがをした。馬券販売の窓口業務などを行った女性従業員を含めて約100人は、投票所内などに閉じ込められる形になった。身の危険もあって、午後9時頃、警察官に守られてやっと競馬場を出ることができた。

 午後9時半になってもファンが帰らないため、公正委員がハンドマイクを通して「騎手のミスで申し訳なかった」と謝った。一部のファンは徐々に帰りだしたが、「早くお帰りください」の声にもやじを浴びせ、騒ぎは深夜まで続いた。

 翌日の午前零時すぎになっても約100人が居残ったため、帰るように説得したが、聞き入れず、零時20分ごろ、機動隊が実力行使で強制排除した。ところが、場外へ出されたファンは、さらに予想紙販売小屋に火をつけたり、警察官に向けて石を投げるなどして騒ぎ、警察官に暴力を振るった男性1人が公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕された。


 入場者はこの年最高の2万8000人を超えた。先日、GⅠ・チャンピオンズカップが行われた中京競馬場でも3万2000人余りだったことを考えると、小さな笠松競馬場での混雑ぶりはすごかった。馬券販売額は笠松では珍しく10億円を突破。そのうちのかなりの額が問題のメインレースに投入された。

 ダイサンフジタカは、名古屋の東海菊花賞では2400メートルの長距離戦も経験。7歳時には中央競馬に移籍し、加古川特別(800万円下)を勝利した実力馬。東海ゴールドカップの予想記事短評では「昨今の充実度がすごい。東海菊花賞を3着した実力が爆発しそう」とあった。スピードを落とさず、最後まで普通に駆け抜けていたら、勝っていたに違いない。

有馬記念を豪快な差し切りで制覇した東海公営出身のヒカリデュール(右)を伝える新聞記事(1982年12月27日付・岐阜日日新聞)

 ところで、出走を取り消して波乱を呼んだヒカリデュールは、その後の活躍が目覚ましかった。翌年、中央競馬に移籍して、天皇賞・秋2着、ジャパンカップ日本最先着の5着から有馬記念に挑戦。雨の中山で4コーナー最後方から豪脚を発揮して突き抜け、アタマ差で前年覇者のアンバーシャダイを破った。有馬記念史上に残る差し切り勝ちで、地方出身馬では20年ぶりとなる中央競馬の年度代表馬になった。笠松でもオータムカップで1勝を挙げており、オグリキャップのデビュー前に、東海公営の野武士が中央最強馬になっていたのだ。

 デビュー8年目だった井手上騎手。笠松での無期限出場停止は、その後解除され、「東海オールスタージョッキー」などに参戦した。騎手としては26年間で通算1525勝を挙げる活躍を見せた。2000年から調教師となり、今年も50勝以上を挙げており、通算では500勝を突破した。

 一方、JRAで1周勘違いした山田敬士騎手は、来年1月13日まで3カ月間の騎乗停止となった。問題のレースでは、間違えたゴール前で「リードは2馬身、3馬身。押してます」との実況も流れて、スピードを落としたのは、何ともおかしい。

笠松からJRAに移籍し、活躍している柴山雄一騎手

 向こう正面でコースを離れ、馬を減速させる新人の山田騎手に対して「あと1周あるぞ」と教えているのが、2番手で追走していた柴山雄一騎手というのも、ほほ笑ましい。アンカツさん(安藤勝己元騎手)の背中を追って、笠松競馬から独学でJRA騎手になった努力家。東海ゴールドカップでの事件を、笠松時代の先輩騎手から聞かされていたに違いない。

 また、騎手はレースの距離をしっかりと頭に入れておくのが第一だが、アンカツさんはJRA時代、次のレースの距離を忘れて、武豊騎手に「ユタカちゃん、これ何メートルだっけ」とゲート前で聞いたというエピソードも残っている。

 今年の新人ではトップの7勝を挙げる活躍を見せていた山田騎手。年明けの復帰後は、騎乗依頼が減ったり、ファンの目も厳しくなり、試練の日々が続きそうだ。新潟と笠松とコースは違うが、2500メートルという同じ距離での1周勘違い。ジョッキー人生を揺るがす苦い経験をした後も努力して好成績を挙げた井手上騎手のように、山田騎手には、くじけずに騎乗技術を磨いてほしいものだ。