師匠との出会い

 男性の靴を磨き終わると、尋ねられた。「どんな思いで磨いていますか」。「一足一足、魂を込めて磨いています」。老人は自身が靴磨き職人だと明かした。「うちでやってみないか。明日から来られるか」。「行けます」と即答した。

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 その男性は、名古屋市の伏見で店を構える有名な職人。後に分かったことだが、市原さんが小学5年生の時にテレビで見た靴磨き専門店だった。修業はトイレ掃除から始まった。便器をブラシとスポンジでこすった後、汚れが残っていないか、触れるように言われた。「手の感覚で覚えろ」。徐々に任せられる掃除が増え、師匠から磨きや修理の技術を学ぶようになった。

 師匠は他の4人の兄弟子には言葉で指導していたが、市原さんは理解できなかった。「『キュッ、キュッ』や『シュッ、シュッ』と説明されると分かります」。師匠は希望通りの方法で、技を教えてくれた。「一度見たものは忘れない」と強みを語る市原さんの腕は、誰よりも上がっていった。兄弟子が3年がかりで覚えたことを半年で身に付けた。

 修業中は無給。店の倉庫に住まわせてもらえた。兄弟子の家を順に訪ね、シャワーを借りた。午前5時に起床し、午前7時には店に出て、午前9時の開店から昼食をはさんで午後9時まで働いた。閉店後も師匠の指導は1時間ほど続いた。午前0時ごろから自主練習をこなし、午前3時ごろに気絶するように寝た。自腹を切り、客を装って全国の靴磨き店を巡っては技術を見て盗んだ。スーパーで割引された総菜を購入したり、知人のベーカリーで廃棄されるパンをもらったりして節約したが、高校時代にアルバイトでためた70万円はほぼ底をついた。

市原レオンさんが路上の靴磨きで使っていた道具。布は手になじむからと、小学生の時に着ていた体操服を使っていた

 修業を始めてから半年がたつと、師匠から知り合いの店を手伝うように指示され、東京や大阪の名店に1週間の泊まり込みで働き、しのぎを削る世界でもまれた。

 2020年が明け、厳しい修業を乗り越えて手ごたえを感じていたころ、母から連絡があった。2年間のリハビリ生活を送った市原さんの体調を気遣い、地元に帰って、靴磨き職人として働いてはどうかという提案だった。靴を磨く師匠に市原さんは意を決し、伝えた。「独立を考えています」。師匠は振り返らず、「そうか」としか言わなかったが、背中越しに安心している様子が伝わってきた。

 最初の店舗は関市内で借りた別のマンションの六畳間。オープンした20年4月は新型コロナウイルスの感染が拡大し、全国に緊急事態宣言が発令された時期。月に1件程度しか注文のない厳しい船出だったが、店の評判はSNSなどで広がっていった。宅配での注文を受け始めると、1日に60足届くこともあった。

 その年の初夏、悲報が届いた。師匠が86歳で亡くなった。約80人の弟子を取り、最後に市原さんを育てて送り出した。「一度店に来てほしかった」。市原さんは開店前と閉店後に神棚に手を合わせ、師匠に話し掛けている。