日本最古の高校(当初旧制中学)野球部で、第1回選手権予選から出場し続けている岐阜。春夏計6度、甲子園に出場し、1949年選手権で準優勝も果たした超名門だが、今のところ最後の甲子園は1978年選抜。主将で3番遊撃手の大塚淳人さん(63)に激闘を振り返ってもらった。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版ではベテラン記者による試合の振り返り記事、当時の紙面も掲載。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
岐阜高が最後に甲子園出場した1978年の選抜を振り返る主将の大塚淳人さん=岐阜市加納愛宕町
 大塚淳人【おおつか・あつひと】1960年、各務原市生まれ。主将、遊撃手。立教大を経て、社会人の東邦ガスで選手、監督として活躍。2010年から13年まで立教大監督も務めた。現在は東邦ガス岐阜地域支配人で、ぎふチャン高校野球解説者も務める。

―名門16年ぶり甲子園

 大塚 入学時、まさか甲子園に出られると思っていなかったので、夢のようだった。主将なので、組み合わせのくじを引いたが、ホールに上がった瞬間、現実感が出てきた。予備抽選で26番目だったが、優勝候補筆頭のPL学園(大阪)の相手がなかなか決まらず、...