開設100周年を迎えた高校野球の聖地・甲子園。岐阜県の名選手も数々の名勝負を繰り広げ、歴史を刻んできた。今回は独断で岐阜県高校ベストナインを選んでみた。対象は県内外出身にかかわらず、岐阜県の高校で代表として甲子園の土を踏んだ選手。甲子園での活躍はもとより、その後のプロ、社会人、大学での活躍も加味した。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。今回は特別編の5回目です。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。

◆技巧派左腕、あだ名は「三尺」

 【投手】数え切れない名投手が生まれたが、岐阜県4度の優勝のうち、3度胴上げ投手となった岐阜商(現県岐阜商)の松井栄造(33年春、34年春、35年春、36年春、36年夏)を迷うことなく選んだ。

投手・松井栄造(岐阜商)

 5大会13試合(五回降雨引き分け再試合含む)に登板し、10勝。軟投の技巧派左腕で、三尺(約1メートル)とあだ名が付いたほど落差の大きい縦カーブ(当時ドロップ)で戦前の甲子園を席巻した。

 35年春は全試合完投での優勝。驚異的なのは90回2/3投げて、自責点はわずか2、防御率は0・199。早稲田大では野手に転向し、その後、出征し、戦火の犠牲になった。

 松井に次ぐのが、岐阜商の4年後輩の大島信雄(36年夏、37年春、38年春、38年夏、39年春、40年春)。

 5大会に出場し、38年夏、39年春と2度決勝で涙をのんだが、40年選抜で松井に続く胴上げ投手となった。しかも全4試合を完封での快挙達成(史上3人)。プロ野球では中日などで活躍した。

 同じく岐阜商の清沢忠彦(31年春、31年夏、32年春、33年夏)は岐阜県唯一の甲子園ノーヒッター。31年は春夏準優勝と活躍した。松井の2学年下の野村清(34年春、35年春、36年春、36年夏、37年春、38年春、38年夏)も春夏6勝を挙げ、戦前の岐阜商黄金期を支えた。

 ほかにも伝説の投手には岐阜短大付(現岐阜第一)の湯口敏彦(70年春、70年夏)がいる。岐阜県最速と主張するオールドファンも多く、夏ベスト4に導いた。70年夏の44奪三振は1大会での岐阜県最多。巨人入りしたが、若くして急逝した。

 岐阜の準優勝投手の花井悠(48年夏、49年夏=元西鉄、現西武)も甲子園に名をとどろかせた。昭和最後の県代表88年夏の大垣商、篠田淳の怪腕も印象深い。

 2007年選抜準優勝の大垣日大の森田貴之、前年06年の岐阜城北ベスト4の尾藤竜一(元巨人)、09年夏ベスト4の県岐阜商・山田智弘、10年春ベスト4の大垣日大・葛西侑也らは記憶に新しい。

 甲子園出場がないため番外だが、多治見工高の梶本隆夫(高3時は1953年)はプロ野球阪急(現オリックス)で254勝を挙げ、名球会入りしている。

◆西武の黄金時代率いる

 【捕手】プロ野球での活躍を踏まえて岐阜の森祗晶(昌彦、54年夏)を選んだ。...