物流事業に身をささげてきた二代目山口軍治は、還暦を機に会長となり、30年間務めた社長を、共同創業者の家系出身者2人に託した。1988年に第3代社長に就任した松井宏一は10年間、98年に第4代社長に就いた笠井清春は7年間、業績拡大に心血を注いだ。

 第3代社長の松井宏一

 松井は社長就任後の本紙インタビューに、「相手企業の立場に立って物流管理をトータルで代行する狙いで総合物流企業を目指す」と企業像を描いた。物を運ぶだけでなく、アパレルメーカーの製品の保管や検品といった物流加工にも力を入れた。

 岐阜アパレル製品の“ハンガー輸送便”を強化するため、100~500着の中ロット対応の専用ハンガーコンテナを開発して投入。袋状のハンガーパック(1~10着)、段ボール箱のハンガーボックス(20着)は通常のトラック、500着以上はハンガー専用車で運び、ロット数に応じてきめ細やかに対応した。

 「わが社は戦時統合で幾つかの運送店が統合して発足した会社。さまざまな苦労を和を持って乗り越えてきた」。社是である「和」を自らのモットーとして社業発展に努めた。97年に設立50周年の節目を迎え、翌年、笠井にバトンを渡した。

 第4代社長の笠井清春

 笠井は就任時の本紙インタビューで「全社一丸で攻めの経営をする」と打ち出した。東海4県から岐阜、名古屋市へ地域限定輸送商品を配送する「名岐シティ便」や、東京23区への地域限定輸送商品の「エリア23」を相次いで開始した。

 99年には特定旅客自動車運送事業の許可を受け、学生や教職員の通学、通勤バスの運行を開始。現在も県内の私立高校、大学など4校で運行している。この年は、郵政省と全国規模での業務提携(一般小口貨物と保冷貨物の委託)を締結。年間車両事故は過去最少の19件を達成し、業績と安全の両面で実績を残した。

 軍治は2人に社長を任せた後も会長として大所高所から助言し、銀行回りを欠かさなかったという。「商業高校を出ていて数字には強い」と自認し、日本のトラック王の田口利八から計数管理の徹底を学んだ。社長就任時に社員588人、車両205台、売上高4億円だった会社を、傘下企業22社、グループ社員2253人、車両2275台、売上高403億円へと大きく育てた。

 二代目山口軍治のお別れの会。約1000人の参列者が功績をたたえた=2012年7月3日、岐阜市長良、岐阜グランドホテル

 社長、会長として54年間にわたり手腕を発揮した軍治は2012年6月4日、83歳でこの世を去った。岐阜市内のホテルで開かれたお別れの会には約千人が参列した。代表世話人で大垣共立銀行頭取の土屋嶢は「経営者として類いまれな先見性と人間味豊かな人柄を備えていた」とたたえた。

 軍治もかつて務めた県経済同友会筆頭代表幹事の田中良幸は訃報に際し、「私にとっては『経営の神様』のような人で、企業経営について教えていただいた大切な師匠の一人。気さくで誰からも親しまれる人柄で、多くの会員から慕われていた」と惜しんだ。(敬称略)