岐阜から谷汲へ、消えた巡礼路を歩く旅の後編です。JR岐阜駅前の「谷汲山へ六里」の石碑を基に岐阜市からの徒歩の巡礼路があったはずと推測。メインルートの赤坂からではなく加納宿から谷汲山華厳寺を目指します。後編では旅の難所、山越えに挑みます。谷汲山までたどり着くことはできるのでしょうか。

【前編はこちら】「岐阜市から谷汲山へ、消えた巡礼路を歩く 小紅の渡しで絶景に出会った」

【中編はこちら】「なんて分かりやすい!道標に絵文字? 岐阜市から谷汲山へ、消えた巡礼路徒歩の旅」

◆なぜ山を登るコースなのか?

 午後3時10分 大野町と揖斐川町谷汲の間には標高400メートル前後の山々があります。それほど高い山ではありませんし、登山道もよく整備されています。が、JR岐阜駅から20キロ弱歩いてきて登るとなると、それなりに気合が必要です。動物よけの柵を開け、山に入りました。

山越え開始=揖斐郡大野町野

 事前に下調べに来た際、地元の男性(76)に話が聞けました。男性は「今の森林浴コースが谷汲へのお参りのコースだった」と言います。小学生のころ、大みそかには夜中に山を通って谷汲山まで鐘を突きに行っていたそうです。「おやじにおぶさって山を登って谷汲にサーカスを見に行ったこともある」とも。

 しかし疑問も浮かびます。なぜ山を登ったのか? 今の樽見鉄道が走っているルート、根尾川沿いに谷汲にアプローチする方が楽なのではないでしょうか。

森の中を進む=揖斐郡大野町野

 大野町教育委員会の竹谷勝也さんは「そのルートもあったが、昔の人は川の近くを通るより山を越えるルートを好んだようだ」と推測します。川沿いは増水すると通れなくなります。道としては山越えの方がより安定していたと考えます。

 先の男性はユニークな見方をします。「この辺りには古墳が多い。つまり災害が少ない地域だったからでは」。...