尼崎JR脱線事故から20年、JR伊丹駅前で安全を祈願し風船を飛ばす人たち。左から3人目は脱線事故で重傷を負った増田和代さん=25日午前

 あの日から、どれだけ時間がたっても残された人の思いは変わらない。尼崎JR脱線事故から20年となった25日、現場を訪れた遺族や負傷者らが鎮魂の祈りをささげた。「命に感謝し語り継ぐ」「忘れない」。安全な社会をつくるため事故の教訓を胸に刻み付けながら、亡き大切な人にそれぞれ思いをはせた。

 「子どもの顔を見せてあげたかった」。事故で両親を一度に失った東京都港区の小杉謙太郎さん(41)は2人の子どもを授かり、同じようにわが子を失った遺族の気持ちをよく考えるようになった。運転士と乗客計107人が死亡したあの朝の事故。「107通りの悲しみがある」とおもんぱかり、両親に「20年間いろいろな方に支えられてここまで来られたよと伝えたい」とほほえんだ。

 発生時刻の午前9時18分。事故車両最後の停車駅だったJR伊丹駅(兵庫県伊丹市)では約40人が黙とうした。3両目で重傷を負った同市の増田和代さん(55)は安全への願いを込めた折り鶴を風船につけて飛ばし、「何十年たとうが気持ちは変わらない」と語った。