太平洋戦争中に旧陸軍が開発を進め、戦後にかけハンセン病患者に臨床試験で投与された薬剤「虹波」に関し、第7陸軍技術研究所の嘱託医だった男性が戦後、学会誌に「これは猛毒」と寄稿していたことが28日、分かった。陸軍側が危険性を認識しながら研究を推進した可能性がある。熊本県の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園歴史資料館が明らかにした。
資料館によると、第7陸軍技術研究所の嘱託医だった慶応大医学部の植村操教授が1947年に「照明学会月報」に寄稿した。研究の経緯を記す中で、虹波の主成分「感光色素」について「しかしこれは猛毒であっていつも第一被験者になって相当にむちゃをする自分もこれを用いるにはちゅうちょした」と記載。「無謀にも人体に応用しようとした」と振り返った。
虹波は写真の感光剤を合成した薬剤。寒冷地での兵士の凍傷対策など肉体強化のほか、ハンセン病や結核の治療を目的に旧陸軍が研究した。戦中戦後にハンセン病療養所で投与され、副作用が相次ぎ死者も出た。