パラオ・ペリリュー島から硫黄島へ向かう戦没者遺骨収集船で営まれた慰霊祭=1953年3月
 太平洋戦争後、米軍が戦地の仮設墓地撤去を計画し、日本兵の遺体返還を協議した公文書の写し(国立国会図書館所蔵。原本は米国立公文書館所蔵)

 太平洋戦争終結後の1946年、米軍が戦地に仮設した墓地の撤去を計画し、埋葬していた日本兵の遺体返還を協議した米国の公文書が1日までに見つかった。米軍が戦後処理の一環で墓地撤去を急ぎ、日本側が遺骨収集の検討を始めた経緯が判明した。専門家によると、同年日本に引き取りを打診した米側の事情や検討過程はこれまで分かっていなかった。

 米国立公文書館所蔵の文書の複写を共同通信が入手した。遺骨収集事業に詳しい帝京大の浜井和史教授(日本近現代史)に分析を依頼した。

 46年11月2日付の文書は、米軍の西部太平洋陸軍からGHQのマッカーサー最高司令官に宛て、太平洋諸島に設置した仮設墓地の撤去計画が本国で策定されつつあると記述。墓地に埋葬したのは日本の兵士や民間人で、フィリピン・ルソン島のカンルーバンに1990人、沖縄県・伊江島に2人などと報告した。

 墓地の日本兵らの扱いについて(1)遺棄は望ましくない(2)遺体のままか火葬して返還(3)費用は日本側の負担―と検討状況を伝え、マッカーサーに指示を要請した。