太平洋戦争末期の沖縄戦で、県民に特別な配慮を求める電文を海軍次官に送った海軍の大田実司令官らの自決から80年となった13日、沖縄県豊見城市の旧司令部壕で慰霊祭が開かれた。参加した遺族や関係者ら計約120人が黙とうし、平和を祈願した。
大田司令官は1945年6月6日、米軍に包囲される中で、県民の惨状を見過ごせないとして「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電。1週間後に将校らと命を絶った。司令部壕では約4千人が犠牲になったとされている。
晴れ間がのぞく中、小学生が沖縄戦の悲劇を歌った「月桃」を合唱する中で遺族らが献花し、手を合わせた。