「慰霊の日」を前に、沖縄戦犠牲者の氏名が刻まれた「平和の礎」に手を合わせる人たち=22日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園
 沖縄全戦没者追悼式の前夜祭で、ろうそくに火をともす親子=22日夕、沖縄県糸満市の平和祈念公園

 沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎える。当時を直接知る世代は少なくなり、惨禍の記憶の継承が課題となっている。80年前、最後の激戦地となった沖縄本島南部・糸満市摩文仁の平和祈念公園では22日、沖縄全戦没者追悼式の前夜祭が開かれ、日米の戦没者計約20万人を悼んだ。

 米軍は1945年3月26日、慶良間諸島に侵攻、4月1日に本島中部へ上陸した。防衛に当たった旧日本陸軍の第32軍は5月22日、首里(那覇市)から、多くの住民が避難していた本島南部への撤退を決めた。

 南部撤退は、「捨て石」として本土決戦への時間を稼ぎ、米軍の兵力をそぐ目的だったが、軍民入り乱れる戦場で住民の被害は拡大。沖縄戦全体で県民の4人に1人が犠牲になったとされる。

 軍事的要衝としての沖縄の位置づけは近年も変わらない。国土面積の約0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の7割が集中しており、過重な基地負担を解消する道筋は見えない。