■ 市長の選挙公約だった

 モノレール導入の背景にあったのが、全国的な路面電車の廃線の流れだ。当時はモータリゼーションが急速に進行。交通渋滞の原因として路面電車がやり玉に挙がった。全国各地で廃止の声が高まり、代わりに新たな交通システムを導入しようとしていた。

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 岐阜市でも終戦時は約14万人だった人口が75年には40万人を超え、世帯数もおよそ4倍の11万5千軒に増えた。市中心部は、路面電車が道路中央を走っていたこともあり、混雑の大きな要因に。67年には市議会で「名鉄市内線全廃について」が決議される。

かつて市内を走っていた路面電車の車両。移設のためクレーンで宙に吊り上げられた

 そんな折、後に岐阜県知事となる上松陽助氏が70年の市長選で公約にモノレールの整備を掲げ、初当選した。64年に国内初の本格的モノレールである東京モノレールが開通して、話題となっていたことも影響し、モノレール整備の動きは加速していく。

■国も導入を後押し

 モノレール導入の動きは、国の動きに沿ったものだった。道路整備を所管する建設省(当時)は、モノレールを混雑解消の手段として活用する方針を定めた。72年には、都市モノレールの整備の促進に関する法律が公布され、建設費が補助されることとなった。

 これに歩調を合わせる形で、岐阜市では71年に日本モノレール協会が美濃町線のモノレール化計画を提案。この年に岐阜市都市交通研究会が設置された。国もこうした動きを受けて、岐阜市を含む全国4カ所で整備に向けた調査費を補助した。