■想定以上の工費 岐阜駅高架化の整備もあり断念
順調に進んでいたように見えるモノレール構想だが、なぜ立ち消えになったのか。実はこの時期、市内では別の事業も動き出していた。それが市の玄関口である国鉄東海道本線岐阜駅周辺の高架化事業だった。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」これも駅周辺で自動車の交通量が増加したことによるもので、1967年に東海道本線高架線増総合計画を発表、市は、国や県へ高架化を陳情していた。当初は名鉄との統合駅にする計画だったという。
さらに、モノレールの建設費が当初の想定より膨れ上がったことが断念の大きな理由となった。岐阜駅ー芥見駅を含む路線では、建設費と街路整備を含めると当初想定の倍以上となる480億円に上ると予想。さらに街路整備により大規模な住宅の移転も必要とされた。
導入を公約に掲げた上松市長は75年9月、モノレール構想の凍結を宣言した。わずか5年の夢だった。81年には整備に否定的結論が出され、くしくも同年の末に岐阜駅の高架化事業が国に認可されることになる。こちらは86年に無事着工した。
■インフラ整備は続く 芥見方面へは国道バイパス工事中
70年代には人口が急増していた芥見地区も、現在は人口が減り高齢化が進む。昭和40年代に芥見東地区の分譲住宅に移り住んだ70代男性は「当時はバスで仕事に通っていた。モノレールが通ると聞いて期待していた」と懐かしそうに振り返る。開通していれば、地域はどのように発展していただろうか。
モノレール構想は幻となったが、この春、名鉄名古屋本線の名鉄岐阜―岐南駅間の高架化事業が本格始動した。「開かずの踏切」が引き起こしている交通渋滞の解消や、新設する駅を中心としたまちづくりが期待されている。こちらも調査開始から約半世紀、地域住民の悲願だ。交通網の整備は、人や社会の動きに合わせて形を変えながらも、進んでいく。








