「板垣退助が刺された」―。1882年4月6日夕、金華山山麓の中教院(現在の岐阜公園内)玄関前は騒然となった。その様子を伝える錦絵「板垣君遭難之図」には、取り押さえられた犯人・相原尚褧(なおぶみ)(なおふみ、しょうけいとも)を指差し、にらみつけながら何か言葉を発する板垣の姿が描かれている。
「板垣死すとも自由は死せず」
この時生まれた“岐阜発”の名言は、140年経た現代でも、自由民権運動の象徴として語り継がれている。板垣は結果的に軽傷だったものの、...
「板垣退助が刺された」―。1882年4月6日夕、金華山山麓の中教院(現在の岐阜公園内)玄関前は騒然となった。その様子を伝える錦絵「板垣君遭難之図」には、取り押さえられた犯人・相原尚褧(なおぶみ)(なおふみ、しょうけいとも)を指差し、にらみつけながら何か言葉を発する板垣の姿が描かれている。
「板垣死すとも自由は死せず」
この時生まれた“岐阜発”の名言は、140年経た現代でも、自由民権運動の象徴として語り継がれている。板垣は結果的に軽傷だったものの、...