飛鳥時代の大豪族・蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘遺跡群から出土した木簡(7世紀後半〜8世紀前半)を分析した結果、米の保倉庫があったことを示唆するとみられる文字が確認されたと、同村教育委員会が18日に発表した。甘樫丘は蘇我親子滅亡(645年)以降も大規模造成されていたとみられ、村教委は「土地利用の一端を解明できた」とした。
村教委によると、木簡は長さ25センチで幅2・7センチ、井戸とみられる7世紀後半の遺構から見つかった。文字は「稲賜」「奉了」で、米のやりとりがあったことを示している。これまでの調査で周辺に建物跡も発見されており、役人が米を管理する施設であった可能性があるという。
また、遺跡群では2024年度調査で7世紀後半の塀跡が見つかっていたが、さらに長い塀だったことも判明。全体規模は不明だが、東西7・2メートル以上、南北15メートル以上だった。塀の南西角で、L字に折れ曲がっていた。建物などを囲む役割をしていたとみられる。








