タブレット端末を操作して国の予算を考える児童=2019年2月22日、岐阜市加納大手町、岐阜大付属小学校
中学生が消費増税の是非を討論する授業=2019年1月24日、岐阜市加納大手町、岐阜大付属中学校

 東京経由で新潟に行くため、新幹線の車中です。東京へ出張に行くたびに、増加する一方の人の多さに驚愕(きょうがく)します。これだけ多くの人が、社会の一員として活動し、その活動が絡み合い、社会を構成しているのか思うと、社会とは改めて複雑なものだと思います。
 そんな思いで人の波を見ていると、多くの人がつながり、何らかの仕事をするために、子どもたちには社会の中で生きていける力をつけるしかないなと感じます。教育界も、来年の4月から資質・能力の育成というステージに移行します。
 先日、全国学力調査の結果が中3と小6の子どもたちに返されました。昨年度までなら、A問題とB問題がありました。A問題は、これまで学習した基本的な知識が習得できているかという認知能力が問われていました。B問題は基礎知識を活用する、いわゆる非認知能力を問うたものでした。それが今回からは、ABの区別はなくなり比重はB問題へ移行しました。これは、A問題による検証すべきものの意味が薄らいできた証しです。今や関心は、非認知能力の在り方に移行しました。今後、大学入試試験にも、これまでにない割合で非認知能力を問う問題が入ります。そうなれば、これまでのように先生が大切な単語を伝え、暗記を促すだけの授業も変わります。単なる暗記部分は、人工知能(AI)に任せようということです。(誤解のないように、基礎知識は当然必要です)
 さて、こうした非認知能力についてですが、AIの進歩に備えた将来の変革という話ではありません。数年前から、昭和初期に新書版で発刊された吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」が少し前からブームになって読まれています。私は著者の息子の吉野源太郎氏と池上彰氏の対談も読みましたが、この作品の主人公であるコペル君の成長は、時代を超えて社会から共感を得ているようです。コペル君の成長のきっかけであるおじさんの役割も、悩む主人公と対話のできる斜めの人間関係によって、その対話の大切さが描かれました。コペル君はおじさんの大きな問い掛けをきっかけに、いじめ、裏切り、貧困、格差などの深遠な問題に出会い立ち止まり考え続けます。昭和初期の発刊でありながら、著者は社会を見つめ、考えることの大切な現状を感じ、非認知能力を育むコぺル君を描いたのでしょう。いつの時代にあっても、子どもたちにあてた著者からの哲学書であります。
 これからの社会で、非認知能力の育成は一つのトレンドです。時代は令和へと移り、グローバルだ、技術革新だといわれる現代社会において、柔軟に考え続ける力がより求められているのは皮肉なものです。一方で、この傾向は当然という見方もできます。バーチャルな世界に入り、人との出会い方も変わり、これまでとは異なる価値にも出会い、生き方も多様になってきているのですから仕方ないのです。
 たとえ答えがすぐに見つからなくても、主体的に疑問を見つけ、悩みながら探究をするコペル君のような子どもたちになってほしいものです。また、先生たちには、コペル君とは斜めの関係で対話を促したおじさんのような存在になり、子どもたちへ非認知の力を育ててほしいものです。