車座になり、発言をつないで考えを巡らせる付属中の生徒ら=岐阜市加納大手町、岐阜大付属中学校
自分たちで選んだ課題について、対話をつなぎ、考えを深めていく岐阜大付属小の児童ら=同

須本良夫 岐阜大教授

 今年の夏休みも、子どもたちはさまざまな自由研究に取り組んだことだろう。これまでは、まとめ方が話題になっていたが、昨今はどのような「問い」をもったかが話題になっている。

 じゃんけんは、なぜ3種類だけなの。気温だと38度は暑いのに、なぜお風呂だと我慢ができるの。アサガオは、なぜ毎朝決まって咲くことができるの。子どもが不思議を見つけ出す目は、大人が常識だと感じていることへ待ったをかけ、科学を探求しようとする第一歩である。

 ここから見えるリンゴはリンゴであるが、実は目に見えていない部分はリンゴではないかもしれない。大ヒットした、ヨシタケシンスケ氏の「リンゴかもしれない」という絵本のコンセプトである。この本のヒットの理由も、人が考えを巡らせながら真理とは何かを楽しく探れるということであった。

 今年から、新しい学校教育の指針である学習指導要領の一部がスタートをしている。自由研究や絵本は個の楽しみであったが、新しい学習指導要領では、主体的に他者との協働を対話によって展開し、先哲の考え方を手掛かりに広く、深く考えることが求められている。

 今年の夏休み、先生たちも子どもたちの探究を学んだ。新しい授業スタイルの一つの方策であるp4c(子どもの哲学を取り入れた教育)を取り入れた社会科授業について、全国の先生方を招いて岐阜大学付属小・中学校で研修がなされた。

 p4cの授業の原則は、子どもたちが車座になって、まず、自分たちで話し合いたい「問い」を設定する。その後は、対話によって自分たちなりの真理へたどり着けるよう、比較したり、具体例に置き換えたり、批判し合ったりすることで、答えに向かって考えを巡らせ合うというスタイルの授業である。

 これまでも社会科の授業では、教師による問いを解く授業は行われてきた。しかし、教室や学校を卒業しても使える力を育てるには、良い「問い」とは何か、その問いを見つけ出す力の育成こそ子どもたちにとって必要な力となってくる。

 今回の付属の授業では、小学生が「男女平等のメリットとデメリット」、中学2年生が「天皇制は必要か」という問いを、子どもたちが選択した。授業中の子どもたちの発言はすてきだったが、帰り道の子どもの会話は考える材料を提供してくれた。参観した一人の先生が、偶然耳にし、話題提供をされた。「今日は天皇制を考えるはずだったのに、先生は憲法とはなにかを考えさせようとして、違うよね」。子どもの本音であり、参観していた大人たちは、主体的に考える意味を改めて考えた。

 これまでの授業であれば、子どもたちの思考の筋道は、教師による巧みなリードであった。しかし、子どもがより主体的に問題意識をもった時、教師の問いかけが子どもの思考からずれていれば、大人の声など煩わしいものでしかない。教師には、これまで以上に子どもたちの思考を読み解く力が要求されそうである。予定調和ではない授業において、子どもたちの対話に入り込む。まさに教師の授業の腕の見せどころである。子どもが真に主体的に考える授業が展開されたとき、教育も面白い時代を迎えそうである。

 研究会の終了後、若い先生が私へ質問をされた。「新聞記事を共通に読んで、その上で何を考えたいか問いを設定させ、話し合うという展開もありですか」。原則は提示したが、バリエーションは自由である。新しい教育が始まる時、NIEとp4cの融合。これはこれで参観してみたい。