自宅でくつろぎながら新聞を読む小学生=東京都
廊下のパブリックスペースに置いてある新聞=東京都目黒区、都立国際高校

日本公民教育学会常任理事・都立国際高校主任教諭 宮崎三喜男

 「ニュースや新聞を見る機会が増えて、そのことについて、家族と話し合った時間が楽しかった」-。これは生徒が書いた「休校期間中に感じたこと」の一文である。感染症対策のため、学校が臨時休校になり、学校再開後もさまざまな教育活動が制限されている中で、子どもたちは何をか感じたのであろうか。また保護者の方々も、家庭で何ができるのか、いろいろと悩んだことであろう。
 「ファミリーフォーカス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。NIEの家庭版ともいわれ、親子の対話不足、家庭の教育力の低下が指摘される中、注目される新聞活用法である。わが子と新聞記事について話をする。そんなこと...と不安に思う方、何も身構える必要はない。そんな思いを払拭(ふっしょく)するために、野球好きの小学生の息子との会話を紹介したい。
 父親 スポーツ面とテレビ番組覧以外に新聞、見てるの?
 息子 毎日じゃないけど、1面はちゃんと見てるよ。
 父親 なんで毎日じゃないんだい?
 息子 難しいニュースはわからないもん。けど火曜日はじっくり読んでるよ!
 父親 なんで火曜日?
 息子 何でだと思う?
 父親 ...
 息子 火曜日は野球の記事がないもん。
 父親 なるほど。ところで、野球の試合がない冬は新聞を読まないの?
 息子 いや、読んでるよ。習慣だからね。だから僕は冬の方が頭がいい。
 何気ない、親子の会話である。しかし、多くのことを学んだ瞬間であった。それは「環境」「子どもの立場に立つ」「習慣」の三つの観点から説明できる。
 まず「環境」だが、「読むなら子ども新聞を購読するよ」とつい言ってしまいがちだが、子どもからすれば「そこにあったから読んだ」ということらしい。つまり「新聞が置いてある」という環境が重要なのである。勤務している高校では、廊下のパブリックスペースに新聞を配置し、生徒が図書館以外でも自由に閲覧できるよう工夫している。二つ目の「子どもの立場に立つ」は、言葉の通りだが、意外とこれが難しい。筆者は高校で政治・経済を担当しているがゆえ、「1面くらい、毎日読んでほしいな」という思いがあったが、それは大人の価値基準であった。小学生の息子にとって為替や国際情勢などの難しいニュースは、読んでも分からないとのこと。言われてみればその通りだが、大人の盲点を子どもに教えられた瞬間であった。三つ目の「習慣」である。野球好きの息子は、試合結果を見るために毎日、新聞を読んでいるのだが、試合のないオフシーズンでも読むのは、新聞を「見る」のが習慣化しているからとのこと。「習慣にする」。これこそファミリーフォーカスの一番の目標なのかもしれない。
 昨今、思考力・表現力・判断力をどのように育んでいくかが、大きな教育課題となっている。学校でこれらの力を育むことは当然ながら、家庭と学校が両輪となって取り組むことができれば、その効果は絶大だ。「ファミリーフォーカス、家庭で新聞教育を!」と肩ひじ張らず、新聞をネタに親子の会話を楽しんでみてはいかがであろうか。