車いすテニスの混合上下肢障害ダブルスの3位決定戦で勝利し、銅メダルを決めた諸石光照(右)、菅野浩二組=2日午前2時1分、東京都江東区、有明テニスの森公園

 「おじさんが頑張っている姿を見てほしい」-。試合前に語っていたその思いが、最高の形で結実した。東京パラリンピック車いすテニスの混合上下肢障害ダブルスで、銅メダルを獲得した岐阜県各務原市の諸石光照(54)=EY Japan、岐阜西工高(現岐阜総合高)出=。1日午後9時前に始まった試合が2日午前2時ごろに決着する死闘を制し、追い求めてきたメダルにたどり着いた。

 29歳の時に四肢に力が入らなくなるギラン・バレー症候群を発症した。動いたのは首だけで、10カ月は人工呼吸器につながれた状態だった。3年半の入院生活で筋肉は落ち、60キロほどあった体重は42キロに。「体力をつけるため」、地元各務原市のクラブで車いすテニスに出合い、36歳で競技を始めた。

 握力は左右ともに10キロ程度。最初は男子クラスで始めたが、ボールがなかなか飛ばず目立った結果は出なかった。しかし、競技を始めて6年ほどたったころに審査を受け、三肢以上に障害がある選手が男女混合で競う「クアード」と呼ばれる現在のクラスに転向。パラアスリートとして飛躍する転機になった。

 ラケットと右手をテーピングで固定してプレーする。ボールに逆回転をかけるバックハンドのスライスを武器にすると、結果が出始めた。既に40代になっていたが、「想像もしていなかった」というパラリンピックへの道が開いた。

 2012年ロンドン大会から3大会連続でパラリンピックに出場。「トレーニングをしないと筋肉の衰えが早くて」と笑うように年々、体力面の厳しさは増すばかりだが、実戦練習のほかに筋力や心肺機能を高めるトレーニングを怠らず、体をいじめ抜いてきた。そして何より自身を突き動かすのは、いつまでも変わらない刺激だ。

 「年を取ると『勝負にこだわる』ことが少なくなってくる。何事も丸く収めたくなる」。日々の生活で実感しているからこそ、コートで繰り広げる真剣勝負に取り付かれる。競技歴は20年に近づく大ベテラン。「若い子に勝てた時の喜びは、年を取らないと分からない」と笑みを浮かべる。

 迎えた3位決定戦。相手ペアの一人は、親子ほど年の離れた30歳だった。試合は長時間に及んだが、54歳の諸石は集中力を切らさず最後まで懸命にボールを追い、言葉通り勝負にこだわり続けた。体力、技術、精神力。その全てが問われた未明の激闘で、両ペアとも全てを出し切ったといえるが、諸石のメダルへの執念は、相手を上回った。