2011年5月5日、将棋の柴山芳之先生との出会い。息子は、柴山先生との対局が、とても楽しかったようです。その日のうちに、土曜日に開かれていた鵜沼宿での各務原市の将棋講座に、2カ月間、通うことを決めました。

 その講座は4月から始まっていましたが、定員に余裕があるので途中からの参加も大丈夫とのことでした。ここ数年、将棋人気が高まり、毎回、高倍率の抽選になっている先生の講座の人気ぶりを考えると、当時の状況は隔世の感があります。

 2日後の5月7日、鵜沼宿での将棋講座に初めて参加しました。途中からの参加でしたので、私は不安がありましたが、初心者向けの講座だったこともあり、心配は杞憂(きゆう)に終わりました。息子は、とても楽しかったようです。

鵜沼宿の講座の最終日、柴山芳之さん(左端)と記念撮影する高田明浩さん(後列右から2人目)=2011年7月、各務原市鵜沼西町の中山道鵜沼宿脇本陣

 送迎した私も、先生に頼まれて、子どもたちと将棋を指しました。中には強い子もおり、久しぶりに将棋を指して、私自身も楽しかった記憶があります。

 その3日後には、自宅近くの公民館で行われている先生の将棋教室へ行きました。その後、しばらくは、土曜日は鵜沼宿の講座、火曜日は公民館の教室へと通うことになります。

 公民館へは、息子は一人で自転車に乗って通いました。まだ3年生でしたので、転んで膝にけがをして帰ってきたこともありました。そのときは、大丈夫かなと思いましたが、息子は「行きたい」と言い、一人で通い続けました。

 平日のため、親が送迎するわけにもいかなかったのですが、息子は、将棋教室が本当に楽しいんだな、と感じたことを覚えています。

 息子がどうして将棋にそこまでの魅力を感じたのかは、正直、よく分かりません。本人に後で聞いた話では、最初のうちは、駒を打つときの音が好きだったそうです。

 当時、息子は、オセロ、トランプ、ウノなど、どんなボードゲームも強く、大人の私たちが本気で対戦しても、勝つのが当たり前でした。そんな息子にとって、大きなハンディをもらいながら先生に負けたことは、これまでのゲームとは違う、奥の深さを感じさせたのかもしれません。

 好きなことと出合い、それを楽しめる場ができた息子は、以前にも増して、とても楽しく毎日を過ごすようになりました。今振り返ると、地方にいながら、身近にそういう環境があった息子は、ラッキーだったのかなと感じています。

(「文聞分」主宰・高田浩史)