2011年7月10日、岐阜市で行われた将棋大会。明浩の成績は2勝3敗と平凡でしたが、柴山芳之先生に続く大きな出会いがありました。

 その日、私は息子の付き添いで、会場にいました。開会前、近くにいたのがアマ四段の繁田浩一さん。話をすると、なんと私たちの家の近所にお住まいでした。そのときは少し話しただけでしたが、2カ月ほどたった9月3日、繁田さんが、わが家に来てくれました。息子と駒落ちで対局し、詰め将棋の楽しさを丁寧に教えてくれました。将棋の後は、ホットプレートで焼き肉をして、楽しく食べました。

 当時、息子は柴山先生から「詰め将棋を解くといいよ」と指導されていました。詰め将棋とは、終盤に勝つための最短手順を解答するパズルのようなものです。上達に欠かせないものですが、息子はそれが嫌いで全然しないので困っていました。

けん玉で遊ぶ小学3年生の頃の高田明浩さん(左)と繁田浩一さん=各務原市鵜沼朝日町、文聞分

 繁田さんは詰め将棋が大好きで、高校時代から将棋大会で活躍していた方です。繁田さんの詰め将棋愛が息子にも響いたようで、その日から、詰め将棋の本に取り組むようになりました。解ける楽しさを知ると、一人でどんどん解くようになりました。息子が、頭の中で駒の動きを何手も考え、数秒で解き、パラパラと本をめくる姿に、とても驚いたことを覚えています。

 その後、だいたい月に1度、繁田さんは家に来てくれました。一緒にトランプやウノ、卓球などで遊んだり、ご飯を食べたり、クリスマスや誕生日を祝ったりと、家族のように親しくしたことを覚えています。繁田さんは、1年ほどで郷里の岡山県倉敷市へ帰られたのですが、本当にかけがえのない時間でした。

 その後も、繁田さんとは、岐阜や倉敷で会ったり、プロ入りのお祝いに駒を頂いたりと、交流が続いています。

 嫌いだったことも、良い指導者との出会いで好きになり、上達する。それは、どんな分野にも言えることだと思います。息子は、柴山芳之先生と出会い、将棋に熱中するようになりました。そして、詰め将棋が大好きな繁田さんと出会い、苦手だった詰め将棋も好きになりました。

 息子は、詰め将棋に取り組むまでは逆転負けが多かったので、繁田さんとの出会いがなければ、急激な上達はなかったと思います。本当に、貴重な出会いでした。

(「文聞分」主宰・高田浩史)

=随時掲載、題字は高田明浩四段=