昭和の時代の笠松競馬場。スタンドはファンで埋まり、レースに熱い視線が注がれた

 騎手・調教師らの所得隠し、馬券購入問題で揺れる笠松競馬。スターホース不在で、注目されるのは競馬場内外で相次ぐ不祥事ばかり。2月15日からのレース中止も正式決定したが、昭和の時代にも騎手らの不祥事で2カ月ほど中止になったことがあった。騎手、厩務員らが覚醒剤を売買し、暴力団らと仕組んだ八百長レースで逮捕者を出した事件。当時の岐阜日日新聞(現岐阜新聞)の記事で掘り起こし、発覚からレース再開まで、激動の4カ月間を追った。

 安藤勝己騎手らが次世代エースとしてデビューする前年のことで、笠松競馬場に「黒い霧」が立ち込めていた。今なら競馬場自体の存続が「即アウト」になるようなことが平然と行われていた。暴力団や騎手らによる覚醒剤が絡む八百長事件で、岐阜、愛知両県警の摘発を受け、笠松競馬の騎手11人をはじめ、厩務員、馬主ら8人が逮捕されるという最悪の不祥事が起きた。

 ■1975年8月16日 岐阜県警、大がかりな覚醒剤密売組織を摘発

 事件は1975(昭和50)年の夏、笠松競馬場をはじめ、東海、関西地区が舞台となった。8月15日までに、岐阜県警による大阪府や岐阜県内など55カ所の一斉捜索で、大がかりな覚醒剤密売組織を初摘発。暴力団関係者ら23人が覚せい剤取締法違反などの容疑逮捕され、9人を検挙。その中に笠松競馬の騎手3人、厩務員7人が含まれていた。

 厩務員は、暴力団組員から覚醒剤5.29グラムを7万円で譲り受けていたほか、厩務員仲間に流していた疑い。大阪、和歌山、名古屋から岐阜県内への密売ルートも解明。県警防犯少年課と大垣署では、暴力団と騎手らの結び付きについては「笠松競馬場への進出をもくろんでいた」とみており、ノミ行為を含めた資金源としてターゲットにされた。逮捕された23人のほとんどが自分でも覚醒剤を使用していたという。

 このほか、八百長事件を捜査していた愛知県警の摘発を受け、競馬法違反容疑で笠松競馬の騎手らも次々と逮捕された。当時笠松には現在の倍以上の36人の騎手が在籍していたが、10人以上の逮捕者を出し、騎手数は大幅に減ってしまった。

「来週の笠松競馬中止」とトップニュースで報じられた新聞記事(1975年10月15日付岐阜日日新聞)

 ■10月14日 不祥事で初めて、笠松競馬のレース中止

 こうした相次ぐ不祥事に伴い、岐阜県地方競馬組合はファンに対して「公正な競馬」を確保できないとして、10月22日から開催予定の第13回笠松競馬(6日間)を中止することを決めた。事件を重視した主催者、馬主連盟、調騎会、厩務員の四者で自粛対策委員会を発足させ、公正競馬について対策を検討した。不祥事による中止は笠松競馬では初めてだった。

 ■10月24日 新たに騎手2人逮捕、5万円で同僚騎手を買収

 八百長レースで愛知県警と一宮署は、新たに笠松競馬の騎手2人を競馬法違反の疑いで逮捕した。覚醒剤密売の疑いで逮捕された元暴力団員が、騎手や厩務員に覚醒剤を渡し、八百長レースを仕組んでいたことが判明。関与した騎手らが芋づる式に逮捕された。騎手2人は競馬場内の騎手控室などで、翌日のレースに出場予定の騎手に現金5万円を渡し、「1、2着に入らないように」と八百長レースを頼んだ疑い。

 ■11月10日 レースまた中止「この際、徹底的療治を」
 
 競馬組合は、騎手らが覚醒剤を注射し八百長を仕組んでいた事件で、公正競馬運営のため改善策を検討していたが、さらに馬主が競馬法違反の疑いで愛知県警に逮捕された。このため、第14回競馬(11月12~17日)も引き続き中止にした。「一連の事件の環境浄化は終わっていない」との判断だった。

1982年当時の笠松競馬場と周辺の様子

 ■騎手に「缶詰め」方式、一般従事者には死活問題

 対策委員会で内部調査を進める一方、施設管理を徹底。厩舎周辺のフェンスを完備し外部との接触を遮断。騎手に対しては、厩舎での食事を調整ルームで取るようにしたほか、レース前日の午後1時から最終日のレースが終わるまで拘束する「缶詰め」方式を採用。また厩舎監視もガードマンを2人から一挙13人に、調整ルーム監視も3人から5人に増員するなどし、次回開催に備えた。この改善策を農林省に説明。開催の了解を得ようとしたが、今度は馬主が愛知県警に逮捕されたため、急きょ開催中止を決定した。
 
 当時、1開催(6日間)の売り上げは約20億円。このうち100分の5は岐阜市など9市町村で構成している笠松競馬管理組合に、また平均8%の競馬利益金(約1億6000万円)は県に19分の15、笠松町に2.55、岐南町に1.45の割合で分配され、地方財政に寄与していた。県内の市町村に回る利益金は約2億円あったが、2回の開催お流れで地方財政にとっても痛かった。
 
 事件とは無関係の騎手や馬主、一般従事者らにとっても死活問題。1回の開催分で馬主たちが得る金は、賞金と出走手当を合わせて1億1500万円。同様に1回の開催ごとに組合から騎手に計360万円、調教師にも計360万円、厩務員には計380万円の手当などが支払われていたが、これらもなくなった。このほか開催日に日当で働く従事者(馬券販売窓口の女性ら)も1100人おり、こうした人へのしわ寄せも大きかった。組合では「前回はなんの手も打たなかったが、連続での中止となれば、これらの波及面でも検討しなければ...」と頭を痛めていた。

1981年の東海ゴールドカップでは、騎手の1周勘違いで八百長騒ぎが起き、機動隊や羽島署員が出動して警戒に当たった

 ■11月17日 新たに厩務員2人を逮捕、八百長は「1、2着に入るな」

 笠松競馬場などの八百長事件を調べていた愛知県警不正競馬特別取締本部は、新たに笠松競馬の厩務員2人を競馬法違反の疑いで逮捕した。厩務員は既に逮捕されていた愛知県内の馬主らと共謀、4月21日に行われた笠松競馬の第10レースなど計3レースで八百長を仕組んだ。「第10レースの本命」と下馬評があったライトイチの騎手に現金5万円を渡し、「1、2着に入るな」と頼んだのをはじめ、同様手口で2人の騎手にそれぞれ現金10万円を渡し、二つのレースで八百長を頼んだ疑い。

 またもう一人の厩務員は4月19日夕、当日第10レースで本命だったアイアンプリンスに騎乗した騎手に1、2着に入らなかった謝礼として現金3万円を渡した疑い。調べが進み、笠松では不動産業の馬主らをリーダーとする「八百長仕掛け人」のグループがあることが判明。3月ごろに組織され、馬主が資金元、逮捕済みの騎手2人が他の騎手との交渉役、厩務員が騎手らとの連絡役と、それぞれが役割を分担していた。

 ■11月26日 笠松競馬浄化の矢先、賞金着服の疑いで調教師逮捕

 笠松競馬場の環境浄化を目指していた岐阜県警捜査2課と羽島署は、プロジェクトチームをつくり、「黒い霧」にメスを入れ、笠松競馬の調教師を業務上横領の疑いで逮捕した。この調教師は、勝ち馬2頭の賞金と出走手当など計123万円を受け取っていたが、これを競走馬の預託契約をしていた馬主に渡さず、着服した疑い。

 ■名古屋競馬、笠松競馬における八百長事犯の摘発(昭和51年・犯罪白書)

 名古屋競馬の厩務員が絡む場外ノミ行為グループを摘発。バー経営者夫妻などが騎手、厩務員と組んで計23回の八百長競馬を仕組み、総額4450万円に上る不当利益を上げていた事件をはじめ、名古屋、笠松両競馬場を舞台にした8グループによる八百長事件を摘発した。当時は全国で公営ギャンブルでの八百長事件が続発。競馬が最も多く、1975(昭和50)年には全国で45件、54人が摘発された。

 ■12月4日 名古屋競馬では謝礼として覚醒剤注射

 名古屋競馬では騎手1人、厩務員1人が競馬法違反(八百長)の疑いで逮捕された。騎手はレースで3着以下に落ちるよう同僚騎手に頼まれ、2回にわたって、謝礼として覚醒剤計1グラムを調整ルーム内で注射してもらった疑い。厩務員はレースに出走する2頭の馬に多量の水を飲ませて体調を狂わせ、八百長を仕組んだ馬主から10万円を受け取った疑い。黒幕は騎手、厩務員を抱き込み、グループで八百長を仕組んでいた。

 名古屋競馬場関係では騎手3人、厩務員7人、暴力団員7人の計17人が逮捕された。

 令和の時代に入って、笠松競馬で発覚したのは騎手らの所得隠し、馬券購入問題。欲望が渦巻いた昭和の事件とは時代背景も違い、単純に比較することはできないが、インターネット社会で手口は巧妙化。全国の地方競馬ファンをはじめ、一般の人の関心も高い事件。主催者は第三者委員会の調査待ちということだが、指導する立場にもあるNAR(地方競馬全国協会)にもリーダーシップを発揮してもらい、関係者が一丸となって「浄化、再生」へとつなげてほしい。
 
 次回は、昭和の不祥事で逮捕された騎手らの処分内容や、レース再開での場内の様子などについて振り返りたい。