1993年、岐阜大会決勝で優勝候補筆頭の県岐阜商をサヨナラで下し、初の甲子園出場を果たした東濃実。前年3試合連続サヨナラ試合の県岐阜商が初戦でサヨナラ勝ちした鹿児島商工(現樟南)とくしくも初戦で対戦。惜しくもサヨナラ負けを喫したが、初出場での健闘が県内ファンの心に残るエースの小西智也さん(48)に秘話を聞いた。
―どんなチーム。
小西 春の県大会は1回戦で市岐阜商にサヨナラ負けで、誰も夏優勝するとは思ってなかった。新チーム発足時、工藤昌義先生(現朝日大コーチ)が監督に就任し、藤田明宏先生(現朝日大監督)が副部長。工藤先生は4月に土岐商に転勤し、北野斉先生が監督に復帰したが、工藤先生から〝頭を使う野球〟を徹底的に教わった。バッターのスイングの軌道、見逃し方、ファウルから考え、守備位置、配球を考える。そもそも試合のテーマを教えてくれないので、自分たちでテーマを探ることから試合が始まった。岐阜大会では初戦は緊張で体が言うことを聞かなかったが、八回に逆転してから、野球が楽しくて仕方がなかった。チーム全員が同じ気持ちだった。
―岐阜大会決勝は劇的なサヨナラ勝ち。
小西 2回戦から決勝で失点するまで30イニング連続無失点だった。決勝はシーソーゲームになったが、負ける気は全くしなかった。根拠はなかったが、不思議な力が湧き、目の前の1球1球がすごく楽しい時間だった。野球ってこんなに楽しいんだという実感。延長十回に1死ランナーなしで自分がライト前ヒットを放ち、後藤正樹のフェンス直撃の二塁打でサヨナラの生還を果たした。無我夢中で三塁を回った時から覚えていない。優勝した実感もなかったが、学校に着いた時の飾り付けで、甲子園にいくんだなと実感した。
―甲子園のマウンドは。
小西 360度観客がいる歓声の圧力がすごくて足が震えた。でも、試合が始まると、楽しめた。相手の鹿児島商工は翌年に準優勝する福岡真一郎と田村恵の2年生バッテリー。...