2年生ながら主軸で1979年選抜に出場した中京商(現中京)の藤本貴久さん(62)。捕手としてプロ野球を経て、今春から母校の監督として後輩たちを指導する藤本さんに秘話や高校野球への思いを聞いた。

 2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
1979年選抜で2年ながら主軸を務め、プロを経て今年から母校監督に就任した藤本貴久さん=土岐市総合運動公園
 藤本貴久(ふじもと・たかひさ)1962年、兵庫県西脇市生まれ。中京商(現中京)卒業後、80年にドラフト外で巨人に入団。4年間の在籍後は、西脇野球スポーツ少年団、兵庫北播リトルシニアを創設し、監督として指導。社会人野球のアスピア学園や関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズ(現兵庫ブレイバーズ)のコーチも歴任。2020年からは巨人OBスカウトも務めた。24年春から母校の中京高監督。

 ―どんな選手でしたか。

 藤本 自分含め2年2人がレギュラーだったが、9人中7人が180センチを超え、〝ヘラクレス打線〟と言われた。自分も183センチで、優勝した秋の東海大会で打率6割を打っていた。3年の夏の大会前までは投手で、選抜甲子園は外野手として出場した。

 ―甲子園の感触は。

 藤本 小さいころからの憧れで、甲子園に出場できる学校なので兵庫から入学した。やっと、このグラウンドに立てたというウキウキ感でいっぱいだった。...