JR高山線は、10月25日に全線開通90周年を迎えます。岐阜県を南北に貫く高山線。個人的には、仕事の上でも、多くの縁がある路線の一つです。

 ところで、「みのひだ乗り物探訪」は今回が48回目。これにちなんで、10年ほど前まで高山線の普通列車で走っていたキハ48形を振り返ります。

高山線を走っていたキハ48形=2014年10月、加茂郡白川町

 キハ48形やその一族は「各地で、いつも見かける車両」という印象。決して派手な存在とは言えませんでした。
 
 「ガンダムで言えば、ザクのような堅牢性と使い勝手の良さとバージョンの多さがあった?」とは同僚の談。この評価は初めて聞きましたが、頑丈であったとは言えるでしょうか。
 
 普段利用していた人にとっては、いくつもの思い出があるのではないでしょうか。

 キハ48形は、国鉄末期の昭和50年代に作られた気動車の一種。運転台が片方にあり、客用の扉は片開きのものが車体の前後に付いています。
 
 運転台の数やドアの仕様によって、同種の車両が何種類ありました。みんなまとめてキハ40系と呼びます。運転台が前後にある両運転台の車両はキハ40形。客用扉が両開きで、運転台が片方にある車両がキハ47形。さらに、トイレの有無などの仕様で細かく分類されます。北海道から九州まで全国に計888両導入されました。

キハ48形の普通列車=2009年6月、白川口駅

 分割民営化で、国鉄の車両はJR各社に引き継がれます。JR東海に引き継がれた車両は、国鉄時代の朱色1色から、白地にオレンジと緑の帯という塗装に塗り替えられました。また、冷房が取り付けられたり、エンジンを高性能なものに交換したりといった改造も行われました。

 東海以外のJR各社でも、地域独自の塗装になったり、路線の環境に合わせた改造が行われたりしました。車体がしっかりしていることもあり、東海エリア以外では、見かける機会がまだあります。

 岐阜県内の高山線や太多線では、キハ40系は民営化後に登場したキハ11形とともに、普通列車で走っていました。ラッシュ時に岐阜駅で見かけたり、仕事の移動中に高山線沿線で見かけたり。その姿は日常の一部でした。

記事後半では、高山線でのキハ40系最終列車の様子や、「特別な装い」となった姿を紹介しています

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