太平洋戦争末期、旧海軍鹿屋航空基地(現海上自衛隊鹿屋航空基地)から出撃し、戦死した特攻隊員を悼む集いが21日夜、鹿児島県鹿屋市で開かれた。市によると、基地では全国最多の908人が帰らぬ人となった。県内外の遺族らが発光ダイオード(LED)の灯籠に明かりをともし、思いをはせた。
「特攻隊員を偲ぶ市民の会実行委員会」が主催し、今回で23回目。会場の公園には、戦没者や部隊の名前が記された灯籠が千個ほど用意された。
地元の鹿屋体育大女子バスケットボール部からは24人が参加した。部員で4年の黒川実乃利さん(22)は「灯籠を作りながら、戦争体験を語り継ぐ人の話を聞き、貴重な経験になった。自分たちも次の世代に伝えていきたい」と話した。
鹿屋基地では1945年3月に特攻隊の出撃が始まり、6月まで続いた。