1944年12月に撮影された写真を手にする浜谷悦子さん。樺太では毎年のように街の写真館で家族写真を撮っていた=3月、北海道稚内市
浜谷悦子さんの手記「五歳の記憶」
1979年、北海道稚内市で国立病院の薬剤助手をしていた頃の浜谷悦子さん(左)(本人提供)

◆「自分も戦争の犠牲者なのに」募る...