「いろんな出来事は忘れていくんだけど、被爆したということについては、むしろどんどん鮮明になって思い出されます」。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の前事務局長で現在は顧問の木戸季市(すえいち)さん(85)は、あの日のことをよどみなく語る。80年前の8月9日午前11時2分、米軍機が長崎市に二つ目の原子爆弾を投下した。
当時5歳。爆心地から1・9キロの自宅近くで被爆した。前日に母の実家がある鹿児島から長崎へ帰ったばかりだった。
その日は配給に、そうめんが出た。「ごちそうだ」とわくわくしながら母や近所の人たちと...