14日死去した茶道裏千家前家元の千玄室さんは、戦後間もない時期から海外に足を運び、60カ国以上で茶道文化の普及に尽力してきた。お茶を通して世界の人々と平和を愛する心を共有するために―。文化交流の原動力となったのは、自らの戦争経験を通じた平和への強い思いだった。
1951年、茶道具一式を持って渡米。ハワイ経由で米国本土に降り立つと、日本人のネットワークも生かしながら、各地の大学や文化施設でデモンストレーションをして回った。ただ当時、温かい飲み物はコーヒーが主流。緑色の茶はおいしそうに見えなかったようで、鎌倉時代に茶を広めた禅僧栄西を手本に、健康面の効果を強調するよう工夫した。
結婚を経て家元になってからは、海外で行われる日本文化のイベントや記念行事に招かれる機会が増えた。ハワイ大客員教授になり、外国人に茶道の講義をするように。日中国交正常化後の76年、中国の実力者、故トウ小平氏と面会。その後、中国に茶道の教育機関を設立した。
長男に家元を譲ってからも精力的に活動し、欧米やアジア各地を回り、国際交流に奔走。世界の「満ちあふれんばかりの平和」を願い、行動し続けた。