陸上自衛隊小倉駐屯地曽根訓練場の敷地に残る、曽根製造所の遺構=24日午後、北九州市(共同通信社ヘリから)

 旧日本陸軍が毒ガス弾を製造した曽根製造所(北九州市)で、工員の負傷事故が相次いでいたことを示す報告書が見つかったことが24日分かった。明治学院大国際平和研究所の松野誠也研究員(日本近現代史)が国立公文書館で確認した。皮膚をただれさせるびらん剤などに暴露し、工員らが休業を余儀なくされた実態が記されている。事故の証言はあったが、軍の資料が発見されたのは初という。

 見つかったのは曽根製造所の1941年度の報告書。松野さんによると、太平洋戦争開戦に向け毒ガス弾の大規模配備が事前に決まっていた。曽根製造所は東京第二陸軍造兵廠の工場だった。広島県竹原市・大久野島の陸軍工場で作った毒ガスを搬入し、火薬と共に砲弾に詰めていた。毒ガス弾は中国戦線などに配備された。

 41年度の最初の3カ月間に、びらん剤が皮膚に付着し1人が休業した。別の1人も同様の事故で負傷した。その後もびらん剤やくしゃみ剤の付着、びらん剤の吸い込みなどが繰り返され、休業する人も出た。「皮膚炎」や「急性咽頭炎」との診断結果が記されている。