脳神経外科医 奥村歩氏

 コロナ禍に続いてロシアの侵攻。世界が不安に巻き込まれています。このような時代、あるタイプの患者さんが増えています。

 Sさん(76歳男性)も、そんな一人でした。Sさんは、うつろな瞳、精気に欠けた表情で当院を受診。同伴された娘さんは開口一番、「先生。おじいちゃんが認知症になってしまいました。急に“ボケ”て、何もできなくなってしまったんです」

 伺えば、Sさんは今年の寒い冬、大腿(だいたい)骨を骨折しました。手術やリハビリは順調でした。しかし、梅林公園に花が咲く頃から元気がなくなってしまいました。人や物の名前が出てきません。戸締まりや薬の飲み忘れなどの「もの忘れ」も深刻なようです。

 さらに、今まで日課であった庭の手入れや散歩ができなくなりました。それどころか身だしなみや入浴でさえ、おっくうなご様子です。そのため、Sさんが認知症になったのではないかと心配した娘さんが当院を予約したのでした。

 Sさんの長谷川式スクリーニング検査は17点。他の認知機能検査でも、その数値は「認知症レベル」でした。しかし、MRI(磁気共鳴画像装置)など精密検査の結果は、決して認知症ではありませんでした。連載でも紹介した、アルツハイマー型や前頭側頭型、そしてレビー小体型など、いずれの認知症にも該当しないのです。

 Kさんの診断名は「仮性認知症」でした。

 仮性認知症とは、手当てをすれば治る可能性が高い“認知症によく似た状態”です。その病態は“脳のエネルギー”が枯渇している場合が多いです。

 車に例えると、燃料のガソリンがなくなった“ガス欠”に似ています。この状態になると元気がなくなり、意欲や記憶力が低下し、まるで認知症になったような「そっくり」な症状が現れます。

 Sさんは、セロトニンなど脳のエネルギーを整える薬剤で完治しました。表に、認知症と仮性認知症の比較を記します。

 仮性認知症は、日常生活の心構えが認知症とは異なるため、しっかり鑑別(区別)することが重要です。「仮性」ではSさんのように、病気やけがが引き金になる場合があります。体調や環境の変化、そして、ストレス・不安が原因になり得ます。不安は、私たちの脳内エネルギーを最も消費させるのです。「仮性認知症」の特徴は、認知症に比べてかなり急激に「ボケ症状」が悪化すること。認知症では1年くらいかかって、ゆっくりと気になる兆候が現れます。それに対して「仮性」では、Sさんのように発症がかなり急速であることが特徴です。

 仮性認知症の対応では、脳にとってのエネルギーを蓄えるような行動を取ることが重要です。心身共に、消耗を防ぐ“省エネ生活”が望まれます。面倒な仕事や煩わしい人間関係に巻き込まれないで、また、脳を酷使しないでください。「脳トレ」などは逆効果ですよ。今の季節では日光浴や森林浴が効果的です。

(羽島郡岐南町下印食、おくむらメモリークリニック理事長)