1991年1月、オグリキャップの引退式は京都をはじめ笠松、東京の3競馬場で行われた
「3歳の娘と親子3代でオグリ、オグリと応援しています」「有馬記念のウイニングランに感激し、涙が止まらない」
幼児、若者からシニアまで幅広い世代の国民的ヒーローとなったオグリキャップ。ラストラン有馬記念Ⅴでの感動的なレースと直後のオグリコール。胸を熱く揺さぶられた現場にいたファンたちとそれを伝えるテレビ映像。多くの人がリアルタイムで体感した爆発的なエネルギーだった。
オグリキャップがつないでくれた全国のファンとの心の交流。35年前、わが家に届いた数多くのオグリキャップ愛が詰まった手紙などを改めて読み返してみた。「これは現代の競馬ファンや『ウマ娘シンデレラグレイ』ファンにも読んでもらいたいな」との思いが増幅。3月27日のオグリキャップ誕生日も近づき、天国からの愛のメッセージとしてその熱狂ぶりをお伝えしたい。
1987年11月、名古屋競馬場で中日スポーツ杯を圧勝したオグリキャップと安藤勝己騎手
■「週刊競馬報知」の投稿欄に「専門紙コピーを欲しい人はご一報を」
まずは手紙などが送られてきた経緯について述べると。3年ほど前、オグリキャップ笠松時代の専門紙「競馬エース」をわが家の段ボール箱から「発掘」。出馬表など10レース分で、ファンからのはがきや手紙も見つかった。
笠松で引退式があった1991年1月、「週刊競馬報知」という雑誌の読者ページ「ダービースクエア」のコーナーに「笠松競馬場でのオグリキャップ引退式もすごい人でした。笠松時代のレースぶりを知りたい人や専門紙出馬表のコピーを欲しい人はご一報を」と投稿。全国のオグリファンから数多くのお便りを頂いた。
受験生をはじめ10~20代や子育てママさんからの手紙もあった。「ウマ娘シンデレラグレイ」人気で新たなオグリファンも増えたが、現役時代のレースをライブ観戦したファンにとって「芦毛の怪物」はどんな存在だったのか。
オグリキャップの引退式後にファンから寄せられた手紙やレーシングプログラム
■全国のオグリファンから、はがきや手紙が続々と
当時はインターネットがまだ普及していない時代。中央入り後の出馬表などは残っていても、笠松時代のものは入手困難。投稿を見たオグリファンからまず「笠松時代のことを知りたい」「コピーが欲しいので送ってください」という、はがきが相次いだ。文通を通じてレーシングプログラムや写真、ビデオなども寄せられた。
こちらからは「オグリがゴール板の位置を知っていたと言われたのは、3~4コーナーから沈み込んで地をはうような笠松仕込みの走りで、体感としてゴールが分かっていた」といったことを伝えた。当時の古馬最強馬フェートノーザンがレース中の事故で永眠していたことや、キャップの妹で芦毛のオグリビート(88年生まれ、通算10勝)が笠松でデビューしたことなども伝え、希望者には専門紙コピーを送った。
小学生時代から「切手少年」(収集)だったこともあり、コピー代や郵送料として切手を同封してもらった。「一番印象に残ったオグリキャップのレースは?」などと聞いたりもした。「競馬報知」の販売エリアは関東主体だったが(東海では一部地域)、西日本のファンからも反応があった。どこにでもいそうなオグリキャップ好きの皆さんですが、勝手ながら匿名でお手紙を紹介させていただきます。
2005年4月、笠松競馬場存続のため里帰りしたオグリキャップ
■「人を感動させることのできる素晴らしい馬ですね」
☆神奈川県の女性(2児の母)
▶「オグリの妹のことは、すごく気にかかっていました。テレビ(「競馬旅情」)に出ていた芦毛の馬がオグリビートというのですか。笠松競馬場は、すてきなところですね。オグリキャップを乗せた車を見送っていた小栗孝一さん(オーナー)の寂しそうな姿が思い出され、オグリも同じ気持ちなのではと思いました。笠松で一生暮らさせてあげたかったなあと。日本のオグリキャップになることは周りの者の望みですが、オグリはただいつも一生懸命走って私たちに素晴らしい贈り物をくれました」
「私は3歳の娘と1月に生まれた男の子の2児の母です。2人も子どもがいるのに『オグリ、オグリ』と笑われそうですが、母親は私以上にオグリのファンです。娘もどのレースでも『オグリ、オグリ』と応援しています。私たちの競馬歴というのは短く、母親は昨年の日本ダービー、私は秋の天皇賞からですが、今ではいつも頭のどこかにオグリのことがあります。有馬記念の時は、何日も何カ月も前から胸がいっぱいで、評論家たちのコメントも悲しくなるばかり。勝たなくてもいいから、悪評を書かれないレースをと祈っていました」
「オグリキャップという馬は、ただ走るだけでなく人を感動させることのできる素晴らしい馬ですね。オグリの過去のレースをビデオで何度見てもその度に感動しています。母は今秋、娘を連れて北海道へオグリに会いに行く計画を立てています。私は下の子が小さくて行けません。でもいつか必ず行きたいと思っています」
2003年2月、「JRA合格おめでとう」セレモニーで祝福を受けた安藤勝己騎手=笠松競馬場
■「この馬に勝てるのはフェートノーザン」「買った馬券のこと忘れてオグリがんばれ」
☆東京都目黒区の20代男性
▶「公営(3歳)時の当地での評価により、改めてオグリキャップは怪物だったんだなあと認識しました。以前、スポーツ紙に安藤勝己騎手がオグリの強さについて問われた時に「3歳馬だが、この馬に勝てるのはフェートノーザンぐらいだ」と言っていたことが載っていたが、それもオーバーな表現ではないな…と思いました。ところで私がオグリに注目したのは、中央初戦を勝ってからでした。当時重賞(シンザン記念)を含めて4連勝中のラガーブラックに完勝したレースぶりから、これはかなりの大物だなあと思いました」
「残念なことにクラシック登録がなく、日本ダービーなどには出走できませんでしたが、いま考えてみると、タマモクロスとの芦毛対決が実現したのだから、それはそれで良かったと思っています。ちなみに私のオグリキャップが出走したレースのベスト5はといいますと。(1位)1990年・有馬記念(2位)89年・ジャパンカップ(3位)89年・毎日王冠(4位)89年・マイルCS(5位)88年・高松宮杯です。1位の有馬は、彼のファンである私も絶対に勝つのは無理だと思っていました。心情馬券は買わない主義の私はオグリを外した馬券を買いました。しかしレースが終わってみればオグリの優勝。もう最後の直線では自分の買った馬券のことなどスッカリ忘れて『オグリがんばれ…』と心の中で叫んでいました」
1987年10月、中京競馬場でも出走した笠松時代のオグリキャップ。安藤勝己騎手の騎乗で中京盃を勝った
「もう一つ忘れられないのが5位の高松宮杯です。初の古馬との対戦で、負けるとしたらこのレース、と思っていました。南井騎手のランドヒリュウが絶妙のペースで逃げ、直線に入った時には逃げ切り濃厚の態勢。直線でオグリも伸びてきたがランドと同じ脚色。『こりゃダメだ』と思ったのもつかの間。その直後にものすごい脚を使い、並ぶ間もなく差し切ったレースぶりを見て、背筋がゾッとしたのを覚えています。今思うとあの頃が(1989年の秋という人もいるが)、競走馬としてオグリが最も強かったのではないかと思います。オグリが引退した今、もうあの走りが見られないのはとても残念ですが、今度はオグリの子どもを応援するために、その日まで競馬を見続けようと思っています」
1990年6月、宝塚記念でパドックを周回するオグリキャップ。1番人気だったが2着に敗れた=阪神競馬場
■「武豊騎手の好騎乗もあり、完全復活しましたね!」
☆鳥取市の男性
▶「僕の一番心に残ったレースは90年の有馬記念で、オグリの年度代表馬の決め手となったレースでした。クリーク、イナリ(既に引退していた)が完調で出走していたら危なかったんじゃないかとも言われていたけど、やはり強いのはオグリだと信じていました。タイムは超スローペースだったため、大したことはありませんでしたが、武豊騎手の好騎乗もあり『完全復活』しましたね!」
「今年は種牡馬として頑張っていい子を出してほしいです。三強の子が全て日本ダービーに出て戦うことを願っています。宝塚記念のパドック写真を1枚同封しました」
引退後は北海道の優駿スタリオンステーションで暮らしていた
■「オグリの一番好きなところは優しい瞳です」
☆千葉市の女性
▶「オグリの妹のオグリビートとハロープリンセスの写真は入手できるでしょうか。何しろそちらの公営競馬のことは何も知らないので、妹が走っていることも初耳でした。やはり芦毛ですか。オグリの一番好きなところは優しい瞳です。どんなにスーパークリークやイナリワンが強いといっても、瞳の美しさではオグリにかないませんよね。フェートノーザンという馬は本当にかわいそうですね。見たかったです。無事なら今頃、種牡馬になっているのに。オグリの思い入れといっても一度も実物を見たことがなくて、それだけが残念です」
「笠松での引退式が一番良かったですね(テレビで見ました)。府中では武豊騎手よりも南井さんに乗ってほしかったです。増沢さんは本当に気の毒だったと思います。もっと体調が良い時に乗りたかったと本音を漏らされてましたが私も同感です」
武豊騎手を背にラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップ
■開門ダッシュ「有馬ウイニングラン、あまりの感激に涙が止まらず」
☆東京都八王子市の男子大学生
▶「僕は20歳の大学生です。競馬を知ったのはカツラノハイセイコ(79年・日本ダービー馬)の時代でしたが、オグリを知ったのはマイルCSで久々に見たレースでした。強さを思い知らされると同時に、素晴らしい勝負根性にびっくりしました。以来、オグリのとりこになってしまい、いきなり次の週のジャパンカップには競馬場まで足を運んで、生でオグリを見てしまいました。あのレースも『負けてなお強し』でしたね。それからというもの、それ以前のレースも見たくなり、あちこちからビデオを借りて見ました。ニュージーランドTの圧勝やタマモクロスとの芦毛対決など、前にも増してオグリの強さを知ることになりました」
「この頃からオグリって公営時代にどんなレースをしてきたのか興味が湧いてきました。それを知る唯一の手掛かりは『競馬四季報』でした。それによると、公営時代は1着のオンパレードで、誰か公営時代のことを知っている人がいたら、当時のことを教えてほしいなと思う毎日でした。昨年の秋に入ると、オグリは不振で精彩を欠いていましたが、僕はいつものように怪物らしく奇跡の復活をしてくれると信じていました」
「有馬記念はオグリのために開門ダッシュというものを初めて経験しました。その結果はご存知のように有終の美を飾ってくれました。あの時は目の前で起こったことが夢ではないかと何度もほっぺたをつねった記憶があります。ウイニングランで戻ってきたときは、あまりの感激に涙が止まりませんでした。本当にドラマチックな有馬記念でした。このレースは僕の一生の思い出になると思います」
有馬記念では武豊騎手とウイニングラン。感動の「オグリコール」が鳴り響いた
▶「林さんは公営時代からオグリを見てきただけに、中央での大活躍は自分のことのようにうれしかったのではないですか。手紙にフェートノーザンのことが書いてありましたが、その名前は聞いたことがあります。競馬をやっていて、つくづく嫌になるのはこうした『骨折-安楽死』というケースです。最近、馬場が硬くて骨折を多発しているので、どうかみんな無事でいてほしいと願うばかりです」
■「出走したレースの新聞は切り取って残しています」
☆東京都世田谷区の男性
▶「競馬報知を拝見しました。競馬をするようになり、まだ2年弱と日は浅いのですが、オグリキャップは特に記憶に残る馬となりました。出走したレースの新聞は切り取って残しています。ビデオ等で見た笠松時代や中央へ移ってからのペガサスS、タマモクロスとの名勝負などは専門紙などがあったらと思っていたので、私にとっては朗報とでもいうのでしょうか」
■「文通」がオグリキャップファンとの通信手段
現代ならメール送信だろうが、昭和から平成に入った古き良き時代で、はがきや手紙による手書きでの「文通」が、見知らぬオグリキャップファンとの唯一の通信手段だった。時間はかかるがそれなりに情緒があった。仲を取り持っていただいた「競馬報知」には、競馬漫画の第一人者よしだみほさんの「それいけ岡部クン!!」「馬なり1ハロン劇場」も連載されていて興味深かった。(次回につづく)
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」への感想や要望などをお寄せください。 騎手や競走馬への応援の声などもお願いします。コラムで紹介していきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。









