かつて「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という、夕方6時頃に始まる30分ほどの、洒脱(しゃだつ)で蘊蓄(うんちく)も含蓄(がんちく)もある“ためになる”ラジオ番組があって、筆者は、能登半島最先端の町で、降るような星空を眺めながら、これをよく聴いていました。
とはいっても、繊細、多感な若かりし頃のロマンチックな、そんなお話ではありません。
そのラジオ番組の放送終了の頃…、いざ、満を持して出陣!するわけです。
そろそろ、お客さまがご帰宅される頃合いかと。つまり、仕事です。
「夜討ち、朝駆け」で、用意周到、お客さまのもとへ馳せ参じ…。
マスコミに限らず、証券会社に限らず、昭和から平成の営業スタイルとしては日常当たり前のことだったと思います。なので、ここからのくだりはあくまでもその頃のお話、という前提であらかじめご了承いただければと思います。
当時、証券会社の、特に地方店舗の収益は大きく二つの柱で成り立っていて、一つが国内株式の売買手数料、そしてもう一つが投資信託の販売手数料でした。
筆者が勤務していた証券会社では、地方店舗だと営業員一人当たりのお客さま数が300~500人、確かそれ以上だと十分なご案内ができないということだったと思いますが、ほぼそれくらいでした。
担当するお客さまから、日々、マーケットの動向をみながら提案を繰り返し、そして手数料を頂戴(ちょうだい)する、というのが証券マンの日常でした。
いまでも、営業目標はどんな業種業界にでもありますが、当時の証券会社はかなりの「ノルマ」を課せられてというのが世の掟のようなもので、筆者もそれを受け入れていた者の一人として自戒を込めて書き残しておこうと思いますが、確かにそれは時として度を超えた行いもあったのだろうと思います。
日々、株式市場が午前9時に開き、午後3時(時刻はいずれも当時)に閉まるまで、1時間ごとに国内株式の出来高の報告を求められる。できていなければ、...








