1992年2月11日、ファンが見守る中、聖地・笠松競馬場デビューを果たしたオグリキャップ記念像
競走馬の元祖ぬいぐるみといえば爆発的競馬ブームを呼んだオグリキャップ。引退後には「功績を永遠に」という提唱があり、デビューした聖地・笠松競馬場で「等身大のブロンズ像」になった。
オグリキャップ像は1992年2月の建立から34年が経過。笠松競馬の守り神であり「勇気と元気のパワースポット」として、笠松競馬ファンや聖地巡礼で訪れる若者らの絶大な人気を集めている。地方・笠松発のサクセスストーリーとして有馬記念を2度制覇した出世馬であり、笠松競馬存続のシンボルとしての「歴史遺産」。さらに近年は「ウマ娘シンデレラグレイ」とのコラボで、岐阜県や笠松町をアピールする「観光資源」ともいえる存在に進化した。
1990年12月、ラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップと武豊騎手
バブル経済の時代、タマモクロスとの最後の芦毛対決となった1988年の有馬記念を制覇したオグリキャップ。89年秋、ぬいぐるみになったアイドルホースは、92年冬にはブロンズ像になって、今もファンに愛され親しまれている。
今回の「オグリの里」では、オグリキャップ像の雄姿が笠松でお披露目されるまでの関係者の熱意とその動きを深掘りした。89年にはGⅠ連闘など99日間に6戦。ラストラン有馬記念Ⅴでの地響きのようなオグリコール…。最後までひたすらゴールを目指し、有終の美を飾った走りに感動。その雄姿を後世に伝えようとしたホースマンたちの熱い思いを、当時の岐阜新聞の記事などで追った。
1988年・有馬記念でのオグリキャップ優勝を記念した特大ぬいぐるみ
■経営難や不祥事にも天国から目を光らせて
笠松競馬場の正門横に立つオグリキャップ像は、来場したお客さんたちをいつも「ようこそ」と出迎えてくれている。馬券販売低迷での経営難や騎手・調教師による不祥事(馬券の不正購入)よる存続のピンチにも、天国から古里に目を光らせているかのように存続を後押し。
現役時代の最後まで諦めない力強い走りのように「オグリキャップを生んだ聖地の灯を消すな」と現場のホースマンもファンたちも奮い立ち、存続につなげてきた。もしオグリキャップ像がなかったら、笠松競馬は20年ほど前には廃止になっていただろうし、この「オグリの里」のコラムも存在しなかった。
風雪に耐えて笠松競馬場の守り神として、いつもファンを出迎えてくれるオグリキャップの銅像(リニューアル前)
JRAの「アイドルホースオーディション2026」では、笠松でも走ったハルオーブが堂々3位に入ってぬいぐるみ化が決定した。オグリキャップにラブミーチャンが続き、地方競馬に在籍した馬にとって笠松は「ぬいぐるみホース発祥の聖地」でもあるのだ。
小さな「ぬいぐるみ」が大きな「銅像」になることは、制作の資金面などからもかなりハードルは高いが「GⅠレース制覇」など人気と実力を兼ね備え、時代を超えてファンに愛され続けたスターホースの証しである。中央馬でディープインパクトやウオッカら、地方出身馬ではハイセイコーやオグリキャップに続いて昨年11月、全日本2歳優駿などダートグレード5勝のラブミーチャンも笠松町役場で銅像になった。
■「郷土の英雄」たたえる競馬関係者やファンたちの熱意
オグリキャップ像の笠松競馬場内での建立は、現役引退直後から完成まで1年余り。年末の有馬記念を2度制した「郷土の英雄」をたたえる関係者の動きは素早く、全国のファンからの寄付金も多く集まった。
1991年1月、笠松競馬場で行われたオグリキャップ引退式。安藤勝己さんを背に場内を周回し、3万人以上のファンが声援を送った
1990年12月23日のラストランとなった有馬記念Ⅴでのオグリコール後、笠松競馬場への里帰りで銅像建立の提唱があり、場内にオグリキャップのブロンズ像新設へとスタートダッシュ。地元の競馬関係者や全国のファンたちの熱意が結実し、第1回オグリキャップ記念のレース開催日に合わせて、除幕式が行われた。
■馬主会長の古田好さん「銅像を競馬場内に建て、たたえたい」
1991年1月15日、ファン3万人以上が殺到した笠松でのオグリキャップ里帰りセレモニー(引退式)で大きな動きがあった。県地方競馬組合議長で馬主会長を務めていた古田好さんが「オグリキャップの銅像を競馬場内に建て、永遠に功績をたたえたい」と等身大の銅像の建立を提唱した。
1987年5月にデビュー、公営で12戦10勝(獲得賞金2281万円)、88年3月から中央で20戦12勝(獲得賞金8億8970万2000円)の戦績を残し、多くのファンに感動を与え、県のイメージアップにも貢献したオグリキャップの活躍を後世に伝え、たたえようというもの。
■オグリキャップに県スポーツ栄誉賞(個人・団体の選手以外で初受賞)
このセレモニーで岐阜県は「笠松競馬出身で県の名声を全国的に高めた」と、有馬記念で有終の美を飾った功績を高く評価。里帰りセレモニーでオグリキャップに「県スポーツ栄誉賞」の盾と感謝状を贈った。
引退式はオグリキャップの里帰りイベントとして開かれ「銅像を競馬場内に建て、永遠に功績をたたえたい」との提唱もあった(笠松競馬提供)
この賞は個人・団体の選手以外での受賞は初めてで「オグリキャップよ 君のひたむきさ 君のあの走りは 多くの人に夢と感動を与えてくれた 素晴らしい君を永遠にたたえたい」と感謝した。
■騎乗馬像なら武豊騎手も候補、建設場所は当初「コース中央の柵内」
当時、岐阜県地方競馬組合(管理者・梶原拓知事)は、名誉県民の古田好県議が提唱した名馬オグリキャップの記念像(ブロンズ像)建設を実現するため、引退後の91年2月8日に第1回オグリキャップ記念像建設実行委員会(会長・古田好名誉県民)を開いた。
第1回委員会では役員41人を選出。このなかには初代馬主の小栗孝一さんや笠松レディース乗馬スクール卒業生の主婦らも含まれていた。
計画では馬像は等身大で、姿が一番美しいとされる裸馬または騎乗馬。ただしジョッキー姿を武豊騎手にした場合は中央競馬会などの了解を得ることにした。色は芦毛を的確に表現する。
当初、建設場所は「コース中央の柵内」とした。周辺を草花で飾ったり、地下道建設も検討された。コースの内側にパドックがあるように、オグリキャップ像を正門横から「内馬場に移設」する案もあったということだ。
2014年1月、オグリキャップ像前で開かれた年越しの「新年カウントダウン」イベント
■寄付金やテレカ販売で建設資金、制作は彫刻家の神戸峰男さん
オグリキャップ像の建設は誰の手で進められるのか。実行委員会では、記念像制作を日展会員で名古屋芸術大教授の神戸峰男さん=土岐市土岐津町=に依頼することにした。また建設資金捻出のため、一般ファンから寄付金を募集するとともに、オグリキャップの3枚組記念テレホンカードを販売。その善意や収益も財源の一部に充てることなどの事業計画を決めた。
彫刻作家に決まった神戸さんは武蔵野美術大学卒で、日展特選をはじめ、日彫賞や県文化特別奨励賞を受賞しているほか、日彫展や日展の審査員も務めた。制作会社は黒谷美術(富山県立山町)で、モニュメントや銅像を手掛けて全国に設置している。オグリキャップ像の紹介(ホームページ)では、オグリの里の「オグリキャップ、笠松競馬の守り神」の記事も活用していただけた。
販売されたオグリキャップの記念テレホンカードの1枚
裸馬(芦毛色)で実物大となるオグリキャップ像の建設費は3000万円を見込み、うち500万円はファンからの寄付金、100万円は記念テレホンカードの販売収益金を充てる。募集期間は91年5月15日から92年1月末まで。寄付者名は記念像台座に埋め込まれるタイムカプセルに収納される。
記念テレホンカードは里帰りセレモニーの2枚、有終の美を飾った有馬記念の計3枚。「オグリキャップよ 感動のロマンをありがとう お疲れさま」と台紙に全成績なども載せた特別セットで1組3000円。笠松競馬場内で2000組が発売される。
記念像は92年2月1日に完成予定で、第1回オグリキャップ記念のレースが開催される2月11日に除幕式を行う。完成後しばらくは場内正門東側、その後、コース柵内を公園化して移動する案も浮上していた。ファンが手軽にブロンズ像に触れて感動を再現したり、勝運の縁起をかつげるようにするという。
■県内外から寄付金「オグリキャップは私たちの心の中でいつまでも走っている」
オグリキャップ記念像建設を計画した実行委員会には県内をはじめ大阪、東京など全国各地から激励の手紙とともに寄付金が相次いで寄せられた。
「名馬の功績を後世まで」と寄付金の募集を始めて約1カ月時点では女性84人を含む214人(県内30人、県外184人)から76万5120円が寄せられ、記念テレホンカードは1157枚が販売された。
寄付金とともに「オグリキャップは私たちの心の中でいつまでも走っている」(大阪府和泉市・男性)、「わが家は全員オグリキャップファン。お金を出し合いました」(和歌山市・家族8人)など、オグリキャップへの思いをつづった手紙も同封されていた。
雄姿を再現するオグリキャップの粘土原型を見る古田好会長(左)と制作者の神戸峰男さん=土岐市土岐津町
■「疾走する姿」再現へ一歩、粘土原型が完成
8月1日、オグリキャップ記念像建設実行委員会は馬像の形を「疾走する姿」にすることを決めた。
オグリキャップのブロンズ像は粘土原型が10月末に完成した。実行委員会の古田好会長が名古屋芸術大教授の神戸峰男さんにブロンズ像の制作を依頼していた。
実物大で、イタリア産の粘土約1.2トンを使用。古田会長らも完成した原型を見学した。11月中旬には石こう原型を作り、富山県へ搬送。白銅合金を流し込んで鋳造が行われ、ブロンズ像を完成させた。
■新曲「オグリキャップよ永遠に」も発売
オグリキャップの活躍をたたえる「オグリキャップよ永遠(とわ)に」が、調教師を父に持つ歌手・沢ゆかりさんの歌で、キングレコードから11月に発売された。沢さんは「岐阜からヒットさせたい」と笠松競馬場をはじめ、岐阜県内でキャンペーンを行った。
沢さんは群馬県出身で、父親が高崎競馬場の調教師。父の友人で笠松競馬場調教師らの勧めで、この歌をつくることになった。テープのジャケットは沢さんがオグリキャップの妹オグリホワイトに騎乗している姿。また裏面は「織田信長」。新年からNHKの大河ドラマが始まり、タイミングはどんぴしゃ。「キャップも信長も天下を取った」と沢さんも天下取りに一直線。オグリキャップ像の完成に向けて新曲も軽快に走りだした。
大井から中央に移籍したハイセイコーに騎乗した増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」のような大ヒットとはならなかったが、「オグリキャップよ永遠に」も好評でキングレコードから「ヒット特別賞」が贈られた。
左前脚を上げ、駆けだす姿を再現したオグリキャップの等身大ブロンズ像が完成
■左前脚を上げて駆けだす雄姿「ブロンズ像も人気を呼び、入場者増につながれば」
12月9日にはオグリキャップ像が建立される笠松競馬場で起工式が行われた。記念像実行委員会の古田好会長、制作者の神戸峰男さん、小栗孝一さんら約30人が出席。工事の安全を願った。
1992年1月中旬にはオグリキャップのブロンズ像が完成した。等身大で、体長168センチ、体高(背中までの高さ)166センチ。左前脚を上げたオグリキャップが、駆けだす雄姿を再現した。
制作に当たってファンから募った寄付金は計370万円が集まった。記念テレホンカード売り上げの一部180万円と合わせて、オグリキャップ像制作費3000万円の一部に充てた。競馬組合関係者も「改めてオグリ人気にびっくりさせられた。ブロンズ像も人気を呼び、入場者増につながるといいですね」と歓迎。一般公開初日は2月11日で、レース前に除幕式を行う。(次回に続く)
☆ファンの声を募集
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(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里5青春編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」「4挑戦編」に続く第5弾「青春編」では、笠松競馬場などでの「砂上の格闘技」で完全燃焼した人馬たちへの惜別の思いも込めた。巻頭はシンデレラグレイ賞&トークショーでのウマ娘ファンの熱狂ぶり、続いて日本競馬界最大のヒーローであるオグリキャップ、アオラキ&ハルオーブ、ストーミーワンダー、ハマちゃんなどを特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、182ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、笠松町歴史未来館、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品。









