1919年に完成した名和昆虫博物館(岐阜市大宮町)の建物を支える3本の構造柱が、かつて唐招提寺(奈良市)の金堂と講堂に使われていたヒノキ材であることはあまり知られていない。シロアリ被害などのため明治期の大規模修復時に取り外され、昆虫学者の故名和靖初代館長が防虫処理して再利用した。唐招提寺によると「明治以前に柱ごと取り替えた形跡はなく、1200年前の創建当時の柱ではないか」という。今月、岡本元興長老らが同館を訪れ、柱との"対面"を果たした。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」唐招提寺は、唐から渡来した鑑真が奈良時代の759年に建立。1998年には「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。金堂と講堂は明治後期に大修理が行われ、柱が取り替えられた。柱は実業家を介して靖氏がもらい受け、同館建設の際にシロアリ研究の一環で構造柱に活用した。寺の石田太一執事長は「垂木の転用例は聞いたことがあるが、柱がそのまま残されているのはここだけでは」と話す。
3本の構造柱は、開館から100年以上たった今も2階をしっかり支えている。直径50~55センチ、高さ3メートル余り。2004年に奈良県教育委員会が調査し、入り口と真ん中の2本は金堂、奥の1本が講堂で使われた柱だと分かった。
入り口の柱は、梁(はり)の穴などをそのまま残した状態で使われ、往時の姿をしのばせる。同館を訪れた岡本長老と石田執事長は「縦に規則的に小さな穴が空いており、壁を支えていた柱ではないか」などと話しながら、感慨深そうに触れて眺めた。
名和哲夫館長は「(靖氏は)被害木も全て研究資料だと捨てず、残した。しっかり防虫処理をした木材は100年後もちゃんと使えることを示している」と胸を張る。
実はもらい受けた柱はほかに7本あり、隣の名和記念昆虫館(標本収蔵庫)の飾り柱や、柱を部材にした六角堂として残っている。
さらに六角堂の中には、靖氏と寺の深い縁を伝える観音像が鎮座する。国宝・千手観音立像の「心木(しんぎ)」を使って彫られた如意輪観音像だ。1917年、靖氏がたまたま唐招提寺を訪れたところ、ちょうど像の修復中だったため、防虫指導をした。シロアリ被害に悩まされていた寺から感謝され、お礼に贈られた被害木は観音像に姿を変えた。
隣接する市歴史博物館では現在、特別展「波濤(はとう)を越えて-鑑真和上と美濃の僧・栄叡(ようえい)-」が開催中。奈良時代に唐から渡来した鑑真と、その招聘(しょうへい)に尽力した美濃出身の僧栄叡について紹介している。特別展を訪れ、名和昆虫博物館に足を延ばした岡本長老は「栄叡大師の熱意があったからこそ、鑑真和上の来日が実現し唐招提寺が建立された。その縁で岐阜に来たところ、また別のつながりに出合った。岐阜との大きなご縁を感じた」と語った。













