飛騨川沿いに旅館が建ち並ぶ下呂温泉街=下呂市内
飛騨川の河原にある下呂温泉の源泉塔=下呂市湯之島
20年以上にわたり人気を集めている祈願グッズ「かなうわバット」=下呂市森、下呂温泉合掌村
長野県境にそびえる御嶽山=下呂市小坂町落合
市街地に張り巡らされた公道。「筋骨」と呼ばれ、観光資源となっている=下呂市金山町金山

 日本三名泉の一つ下呂温泉を擁する岐阜県下呂市。アルカリ性単純温泉で肌触りが滑らかな泉質の下呂温泉には、全国や世界から連日多くの観光客が訪れ、心身共に温まっている。温泉はもちろん市内全域に広がる豊かな自然は、市民の宝として守り継がれている。

かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」

 市内を南北に流れる飛騨川。下呂温泉街では河川敷に源泉塔が並び、鉄橋を渡るJR高山線の列車から見える。かつて河川敷の露天風呂として知られ、2021年12月からは足湯となっている噴泉池もある。

 

 温泉は元々、下呂温泉街の背後にそびえる湯ケ峰の頂上付近に湧いていたという。平安時代中期に発見されたとされ、鎌倉時代に突然出なくなった。その後、飛騨川河川敷で再発見され、現在に至っている。室町時代の禅僧・万里集九や江戸時代の儒学者・林羅山によって知名度が高まったが、現在の繁栄へと結びついたのは1930年の高山線下呂駅開業だ。

 下呂温泉では、旅館や入浴施設だけでなく、足湯や街頭のオブジェと至る所で湯が湧いている。基本的に同じ湯が供給されており、集中管理によって大切に使われている。

 高度経済成長期には、多くの客が押し寄せるようになった。湯を多く出そうと井戸を掘るが、乱掘状態となり、温度が下がったり量が減ったりするようになったという。関係者の間で温泉保護の機運が高まり、温泉の集中管理が始まった。71年6月に集中管理準備委員会が発足。72年10月に集中管理を担う下呂温泉事業協同組合が設立され、74年9月から事業を開始した。

 集中管理の対象となっているのは温泉街中心部の3地区。飛騨川右岸の幸田地区と左岸の湯之島、森地区だ。源泉からくみ上げられた温泉はポンプで貯湯槽に送られ、旅館など77軒に供給される。配管の総延長は1万98メートルにもおよび、温泉の大動脈となっている。組合ではポンプの稼働状況や湯量、55度が基準となる湯温を電話回線を使って把握する。縁の下の力持ちともいえる存在の職員が「温泉資源が未来永劫(えいごう)続くように願っている」と話すように、観光客らに快適な温泉を供給しようと施設の維持管理を日々続けている。

 近年、観光分野でもサステナブル(持続可能)な姿が求められるようになった。2022年には「グリーン・デスティネーションズ」(オランダ)が選ぶ同年の「世界の持続可能な観光地100選」に下呂温泉が選出された。先人たちの取り組みの積み重ねが、今日の国際的な評価につながった。

 温泉街を一望できる高台にある下呂温泉合掌村は、国指定重要文化財の旧大戸家住宅など、大野郡白川村の白川郷などから移築された10棟の合掌造り民家で構成される観光施設。1963年に開設された飛騨郷土館を前身とし、69年に現在の名称となった。

 受験シーズンも終盤を迎える中、合掌村で人気を集めるのが、独自の祈願グッズ「かなうわバット」だ。かなうわバットはヒノキの角材を削り出した長さ30㌢ほどのミニバット。「夢」「健康」など6種類あり、特に人気なのが「合格」。グリップ部分の輪っかも削り出すことで、絶対に落ちない構造になっており、困難に打ち勝つ縁起物として受験生やその家族らの人気を集めてきた。2001年1月17日の発売以来、20年ほどで3万6千本以上売れた。文字入れを一手に担っているのが河原良昭さん(77)=同市野尻=。旧益田郡下呂町の観光商工課長を務めていたときに発案。同町助役を退任してからも、書道師範の腕前で願いを込めながら筆を握ってきた。

 旧益田郡5町村が合併して04年3月1日に誕生した下呂市。市役所などの公共施設に掲げられている市民憲章は、合併10年を前にした13年12月に制定された。1項目は「森と清流と温泉を宝とし次の世代へつなげよう」とうたう。

 市内の地域は、それぞれが個性豊かな表情を持つ。御嶽山や多くの滝がある小坂地域、美しい里山の馬瀬地域、歴史ある街道沿いの萩原地域、下呂温泉のほか棚田の風景もある下呂地域、市街地に張り巡らされた路地の「筋骨めぐり」や巨石群がある金山地域。いずれも、豊かな自然や歴史、文化によって生み出され、地域を愛する人々に育まれてきた宝物だ。