「日本一」などそれぞれの目標に向かって練習に励むはしまモアクラブの選手たち=羽島市
2012年のぎふ清流国体で、史上初の競技別天皇杯5連覇を果たした県勢選手ら。同年以降も3度の競技別天皇杯を獲得し、通算13度は全国最多。「王国」の名にふさわしい活躍を見せている

 フェンシング王国岐阜―。国体では全国最多の競技別天皇杯(男女総合優勝)を獲得し、日本代表や五輪選手を多数輩出するなど岐阜はその地位を確かなものとしている。高校はどこが県代表になっても全国で表彰台が狙えるレベルだが、そもそもなぜ、岐阜が「王国」と呼ばれるほどの存在になったのか。

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 今夏の東京五輪にも県ゆかりの3選手が出場。これまで五輪に出場した県関係選手は延べ12人で、2012年のロンドン大会から3大会連続でオリンピアンが誕生。国体では08~12年まで全国過去最多の5連覇を含む計13度の競技別天皇杯を獲得している。

 競技が盛んになったきっかけは、1965年の岐阜国体だ。経験豊富な指導者がいたわけではなく、鴬谷高校にしか部活動がなかったが、国体に合わせ揖斐高校や大垣南高校に発足した。国体当時の揖斐高生で、その後、指導者として県の競技力向上を支えた川本郁子さん(74)は「地域ぐるみで盛り上がっていた」と振り返る。フェンシングは地元国体で初の競技別天皇杯に輝いた。

 国体後に競技力が下がる自治体は少なくないが、岐阜では指導者が育つ流れができた。当時大学で競技を続ける選手はまだ少なかったが、川本さんは「高校は基礎をつくるだけ」と、自身が大学で実力を伸ばした経験から教え子たちに進学しても競技を続けるよう促したという。

 大学生が母校で教え、次第に教員などで岐阜に戻り、後進の育成に当たる-。好循環が芽生え始める中、強豪県の素地をつくった一人が名将渋谷晴雄さん(62)だ。ほぼゼロからのスタートとなった羽島北高では、全国選抜3連覇や1992年の全国3冠など強豪に押し上げ、現在、朝日大総監督で2度五輪に出場した新井祐子さん(48)らオリンピアンの礎も築いた。母校大垣南高など転勤先の学校も次々強豪に育て上げ、特に「団体」が強い岐阜をつくり上げた。

 渋谷さんの活躍に触発されるように、実弟の故伊藤一人さんや、後輩で大垣南高監督の鈴村元宏さん(55)らが競うように指導力を高め合い、岐阜の高校はどこが出場しても常に全国上位を狙える力をつけた。その教え子らが今、県内各校や大学で指導に当たっている。日本代表でプレーするなど一線で活躍してきた教員も多く、高校ではフェンシング部があるどの学校でも、高いレベルの指導が受けられる環境が整う。

 岐阜では指導者同士が師弟関係や旧知の仲のため、学校や年代の垣根がないことが大きな強みだ。県大会では互いにライバルでも、大垣南高監督の西脇一徳さん(39)は「研究されたらそれ以上の技術を選手が身に付ければいい。それ以上に岐阜が全国で勝てるようにすることが大切」と普段から交流が盛んで、選手が自身の監督以外から助言をもらうことも少なくない。象徴的なのが国体で、他校の生徒同士、さらには成年選手も含めてすぐにチームに溶け込むことができる。関係者が「岐阜のチームは家族のよう」とよく表現するが、そんな一体感にあふれている。

 中学生以下のジュニアクラブの活動が盛んになってきたことも、競技力を押し上げる要因となっている。県内では、はしまモアクラブや大垣クラブを中心に活動が活発で、両クラブとも、発足当初よりも人数は増えているという。

 高校から競技を始める選手も多いが、羽島北高監督の三島巧さん(56)は「もちろん高校から始めて勝てないことはない。でもジュニア経験者は、入学後すぐに戦術面などを教えられる。ジュニアの活動は今後も大事にしないといけない」と語る。

 子どもながらに「日本一」や「日本代表」を目標に掲げ、実際に小中学生のうちからその目標をかなえる県勢選手は多い。情熱的な指導者たちと夢にあふれる子どもたちがそろっていることが、岐阜の強みだ。