2012年6月2日、私と息子は、初めて岐阜駅の近くにある岐阜将棋クラブに行きました。アマ四段の繁田浩一さんから「席主もいい先生で、強い人が多いから行ってみるといいよ」と、勧められてのことです。

 席に着くと、席主の富田祐史先生が、お茶とリンゴを出してくれました。富田先生は、物腰柔らかな、温かい雰囲気の方で、皆さん和やかな雰囲気で、将棋を楽しまれていました。

 息子は、その雰囲気がとても気に入ったようです。その後は、一人で電車に乗って、時々出かけるようになりました。

 それからしばらくは、岐阜将棋クラブで、アマ強豪の方に教えてもらうことが多かったそうです。2014年、小学6年で奨励会に入った後は、先輩の奨励会員とのVS(1対1で練習対局をする研究会)に行くことが多くなりました。

 仲良しの先輩とVSをするときは、早い時間に待ち合わせてランチをし、終わった後も、夕飯を食べて帰ってきました。帰りに岐阜駅で、私の好きなわらび餅や明太子を買ってきてくれることも多く、いつも機嫌良く帰ってくる息子の姿を、ほほ笑ましく見ていました。

 仲良しの先輩奨励会員が降段したときは「なんとか頑張ってほしい」と、毎週のように、VSのために岐阜将棋クラブに行っていました。自分自身も、厳しい奨励会で戦っている中、「先輩の力になりたい」と話す息子の姿を見て、わが子ながら優しい子だなと感じたことを覚えています。

初めての著作「高田明浩の右玉新時代」を富田祐史さん(右)に贈った高田明浩さん=2022年11月、岐阜市県町、岐阜将棋クラブ

 岐阜将棋クラブへは、プロ入りしてからも、奨励会の先輩とVSをするために、時々出かけています。プロ入り後は「いつもお世話になっているから」と、富田先生に色紙を持って行きました。色紙は、将棋クラブに飾られています。

 初めての著作「高田明浩の右玉新時代」が発売されたときも、すぐにサインを入れた本を持参していました。その日、息子が「富田先生が、とても喜んでたくさん話してくれた」と、笑顔で帰ってきたことを覚えています。

 富田先生は、将棋の好きな子どもたちを温かく応援し、指導されているときもあります。

 岐阜将棋クラブは、岐阜県ではただ一つの常設将棋道場で、息子が小学生のときからずっと通っている、唯一の場所です。これからも、岐阜県の将棋好きの人たちが気軽に通える場として、長く続いてほしいなと思っています。

(「文聞分」主宰・高田浩史)

=随時掲載、題字は高田明浩四段=