各務原市川島町付近の木曽川。視界の先には金華山がそびえる
木曽川と新境川の合流点付近の堤防沿いに立つ「米野の戦い跡」の標柱=羽島郡笠松町
米野地区の墓地の一角に立つ「米野の戦い」の碑=羽島郡笠松町
西軍の最前線で戦った飯沼勘平長資の墓=羽島郡岐南町
尾張側となる愛知県一宮市の展望タワー「ツインアーチ138」から美濃側を望む。当時、木曽川は現在より北側(奥)を流れていた=愛知県一宮市

 岐阜県羽島郡笠松町の米野地区。木曽川と新境川の合流点付近の堤防沿いに、戦跡を示す1本の標柱が立っている。慶長5(1600)年、天下分け目の「関ケ原の戦い」約1カ月前、東西両軍が、一帯の木曽川河畔で激闘を繰り広げた。岐阜城を巡る前哨戦「米野の戦い」だ。

 東軍は池田輝政や福島正則ら豊臣恩顧の武将が中心の...