全国アマ将棋レーティング選手権に小学生で唯一の東海地区代表選手として出場した高田明浩さん=2014年5月4日、三重県四日市市、市文化会館

 2014年3月30日、明浩は、大阪市で行われた「詰将棋解答選手権」チャンピオン戦に、初めて参加しました。当時の様子を記載した「詰将棋解答選手権速報ブログ」には、藤井聡太・現八冠をはじめ、そうそうたるメンバーが並ぶ最後列に、息子が小さく写っています。

 その時に初めて、アマ強豪として有名な木村秀利さん(かなきち将棋道場主宰)とお会いしました。翌月の詰将棋解答選手権一般戦では、木村さんが全国1位となり、息子は4位でした。

 その後、息子は奨励会に入会し、大阪へ月2回通うようになります。奨励会の例会は日曜日であることが多く、息子は、前日の土曜日に関西将棋会館の棋士室で練習対局をして、例会に臨みたいと思っていました。奨励会に入ると、アマチュアの時に対局していた関西将棋会館の道場では指せなくなるためです。

 しかし、棋士室に集まるのは有段者の奨励会員やプロ棋士がほとんどで、息子は、なかなか相手にしてもらえませんでした。西川和宏棋士など、一部の先生は練習相手をしてくださりましたが、「今日も、誰も相手になってくれなかった」と悲しそうに息子がよく話していたことを覚えています。

 とはいえ、棋士室に集まる方と奨励会級位者の息子には大きな実力差があるので、厳しい勝負の世界では、それは当然のことだったと思います。

 そんな時、練習相手として手を差し伸べてくれたのが木村さんでした。木村さんは、息子にこう話し、対局してくれました。

 「僕は、やる気のある子なら、強さに関係なく練習相手になる。ただ、一つ条件がある。高田君がプロになっても、今と同じように指してほしい」と。

 その日以降、折に触れて指してもらいましたが、指導料を払っていたわけでもなく、ご飯もよくごちそうになっていたので、親としては恐縮でした。

 当初は負けてばかりでしたが、息子はいつも喜んで出かけていたので、木村さんはとても温かく接してくれていたのだと思います。

 奨励会有段者になると、棋士室での練習相手に困らなくなりますが、息子は「棋士室で、級位者の子や女流棋士の方の練習相手になったよ」とよく話していました。

 息子がそんなふうに行動できるようになったのは、木村さんや西川先生の温かい姿を見ていたからだと思います。良き先輩方をお手本にして、息子が思いやりの心を持てるようになったことをうれしく感じています。