引退会見で14年間の現役生活を振り返る田中順也=岐阜市内
順天堂大学時代の恩師である吉村雅文さん(左)から花束を受け取った田中順也=岐阜市内


 ―岐阜ではアシストする意識も強かった。
 「ゴールが取れなくなったのは、自分自身でDFを外して打ち込むことができなくなってきたから。それは筋力が衰えたからか、努力が足りないのか、なかなかできなくなった。でも、パスの技術に関しては感覚的にすごくいいものがあった。点が取れないならアシストをする。今年も夏前まですごくいい感覚だった。
 夏場にけがをして、その影響でコンディションが整わなかった。7、8月あたりはめちゃくちゃ苦しんでいた。最初の4~6月あたりまで、アシストする感覚は成長していた。『何かつかめそうだ』という気持ちもあって、メディアの人たちに『アシストを増やす』と言っていた。常に成長を考えていた」

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 ―まだできるのにと思えるが。
 「残り4試合というタイミングで引退発表をした。その次の日に筋肉系のけがをしてしまった。残り4試合全部出るつもりで発表したのに、3試合出られなかった。神様のお告げなのかと思うくらい。次の日の練習でけがをした時は『発表して良かったな、これが限界なのかな』と思った。上野監督には『最終戦には万全な状態で出られるように準備をします』と言った。監督のおかげで試合に出られた。夏場のけがとか、シーズン始めもけがして、終盤もけがをした。なかなか体が思うように1年間保てない。申し訳なさもあった。これがタイミングなのかなと」