「次の一手将棋名人戦」で記念撮影する杉本昌隆棋士(中央)と高田明浩さん(左から2人目)=2013年9月8日、各務原市内

 2013年9月8日、各務原市社会福祉協議会主催の「次の一手将棋名人戦」が開かれました。息子の明浩が5年生のときです。倉敷王将戦全国大会でベスト8に入ったことを記念して、行われたイベントでした。

 あいにくの雨でしたが、定員70人が満席となる大盛況でした。第18回でご紹介した地元の将棋サロンの皆さんや私の教室の生徒たちも来てくれました。

 そのイベントで息子が挑戦したのは、藤井聡太現八冠の師匠である杉本昌隆八段です。飛車落ちの手合いで、息子は果敢に攻めましたが逆転負けしました。

 会場では、将棋サロンの臼井直八先生と越智正孝さんによる対局解説と、子ども文化将棋教室の柴山芳之先生による次の一手問題があり、大変盛り上がりました。

 記念対局の後は、杉本八段と息子が、指導対局を行いました。息子が写真撮影や握手を求められる場面もあり、地元の皆さんの応援をありがたく感じたことを覚えています。

 その日、私たち夫婦は、杉本八段とお昼をご一緒しました。その際、杉本八段は、「今は県内の弟子だけでも多くて手いっぱいで、県外の子を取る余裕はないんですよね」と話されました。三重県の子が、杉本八段からそのように話されたことは聞いていましたが、そのとき私は、奨励会受験について具体的に考えていたわけではなかったので驚きました。

 息子はプロ入り後、杉本八段から、「あのとき、高田君を弟子に取っておけば良かったなあ」と言われたそうです。杉本八段の教室には、藤井聡太八冠の色紙とともに、息子の色紙も飾られています。

 「次の一手将棋名人戦」は、息子が6年生になったときも、全国小学生準名人となったことを記念して行われ、森信雄七段門下の増田裕司六段が来られました。その翌月、第27回でご紹介した森七段に弟子入りするのですが、こうして振り返ると、そういうご縁だったのかなと感じます。

 息子はプロ入り後、大阪へ引っ越すまでの間、毎月数回、当時三段だった齊藤裕也さん、柵木幹太さん、宮嶋健太さんらと杉本八段の教室で研究会をしていました。その後、彼らは次々にプロ入りし、東海地方の棋士は一気に増えました。きっと、皆で切磋琢磨(せっさたくま)する良い研究会だったのだと思います。

 地元で応援してくださる皆さん、師匠の森先生や杉本八段、名古屋の研究会メンバーなど、息子は、良いご縁に恵まれていたのだなと改めて感じています。

(「文聞分」主宰・高田浩史)

=随時掲載、題字は高田明浩四段=